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今週の喝 第1002号(2024.08.05~08.11)〜親子喧嘩が始まりました!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ743
親子喧嘩が始まりました!

 今もこの時期(夏休み)になると、我が町今津では小学校、中学校はもちろん各町の婦人会や老人会で今津祭り(盆踊り大会)のため、今津音頭の練習が行われます。近所の公民館の前を通りかかると懐かしい音楽が聞こえてきます。
 先週号にも書きましたが、“街の人”にお願いして「唄、三味線、お囃子(チャンチキ)等」をお願いしましたが、まるで当て外れ!全く子供達(日本一を誇る今津中学校吹奏楽部)と合わないのです。その時分かったのですが、どんな人も自分がやってきた世界を頑(かたく)なになって守ろうという本能が(無意識に)働いて、私がしっかりと楽譜に書いたリズムやコードネームのことは全然理解していなかったにもかかわらず、私に尋ねることすらせずに、練習に挑んで来たのでした。
 ですから、和音(コード)はガチャガチャ、吹奏楽の大音量に負けじと唄ったG先生は二度歌っただけで声が出なくなり、一緒に来ていた弟子の方が加勢してソロが合唱になる始末でした。
 私も東洋音楽のことは勉強不足でしたので、この絶望的な音楽、しかも初めてのレコーディング楽曲を立て直すことができませんでした。この状態をジックリと見ていた今津連合福祉会の皆さんも、心では「バラバラだなぁ!」と思っていても口に出す人はいませんでした。私はこれがレコードとして残ると思うと、いてもたってもいることができず、我が父・郁郎に正直に
 「これではレコードになんかならへん!」
と言いました。すると、我が父は街の面子(メンツ)からでしょう、
 「辛抱せい!」
の一言です。これが切っ掛けになり、親子喧嘩に火が点きました。これを側で見ていた会長の浅尾一雄さんは、
 「梅さん、これは息子の言うことが一理ある。ワシがなんとかするさかい、明日までその喧嘩ワシが預かった」
と言ってその日は解散となりました。そして、次の日朝10時に早速我が家に電話が入り、午後4時に一緒に「京都祇園の宮川町の置屋“川久(かわひさ)”(いまも祇園・宮川町にあります)にゆくから準備をしておくように!」と言われ、一路、京都祇園宮川町に車を走らせました。

 

★★十九歳で、初めてのお座敷遊び★★
 そして、生まれて初めて京都祇園の置屋(芸者さんや舞妓さんを手配したり、その場所で接待し遊ばせてくれるところ)に連れていってもらいました。そこに居られたのは芸子上がりの“お母はん”の「里千代(さとちよ)」さん。既に私たちに紹介しようと一人の和楽器奏者の方を呼んでくださっていました。
 お名前は藤舍推峰(とうしゃすいほう)さん、三十代初めのとてもハンサムな私と同じ横笛(龍笛)奏者の方でした。この方は後に、「和楽器を代表する人間国宝」になられる方です。そして私は、先日の練習風景のカセットテープの録音を聴いて貰いました。推峰さんも里千代さんも、その録音を聞いて苦笑を抑えて、その状況を既に察していたのでしょう。開口一番
 「よく我慢なさいましたね」
といわれ、
 「私たちも、民謡をはじめ和楽にかかわる人間は、もっと洋楽を勉強するように説いて回っているのですがね」
と言われ、レコーディングのスケジュールを先ず聞かれ、「その辺りは、私はアメリカでのスケジュールが入っているので、ご一緒できませんので、信頼できる我が一門の者を差し向けましょう」
と。もの凄く話の展開が早いのです。
 必要なのは、先ずカラオケのためのメロディーを演奏する横笛三味線、そしてリズムを受け持つチャンチキ(お囃子)、そして、一番大切な“歌手”の方々をお願いしましたところ、パッパッをそれらの方々に電話して下さり、丁寧に自分が参加できないことを詫びられ、その日はその後、楽しいとなりました。
この素晴らしい取り計らいを初めからして下さればとも思いましたが、今この歳になると理解できます。いつもいつも、このような場所で贅沢な遊びをしていることを、貧乏人の街・今津の住人(我々)に知られたくなかったのと、連合会長も奥様のある身だったからです。
 そして藤舍推峰さんがご紹介下さった方々は、その当時の和楽を代表する皆さんでした。唄は“今藤長之(いまふじちょうし)”さん、この方は長唄の世界ではこの肩の右に出る「歌い手さんはいない」と言われる方、そして横笛は、“藤舍秀明(とうしゃしゅうめい)”さんで、私もその頃日曜日の夜7時からはテレビにかぶりついて見入ったテレビドラマ「隠密剣士」の主題歌のバックの笛を担当されていた方々です。すなわち、エエ格好をいいますと、
 「今藤流、藤舍流、そして我が今津中学」
と、全て日本一のメンバーです。あの時、「自分の持っている“理想”を曲げてはいけない」ことを学びました。ただ、我々アマチュアは練習に次ぐ練習を経ないと不安が残ります。その旨伝えると推峰さんは、
 「私が責任を持って、皆さんに伝えますので、安心して今日は飲みましょう」
と、座を和ませて下さいました。そして、その場でお願いする楽器のパート譜を書き、それが終わると同時に、里千代さんの采配か、妹弟子の“里和(さとかず)”さんが三味線の方と座敷に入ってこられ、私は生まれて初めてお座敷遊びを堪能させて貰いました。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/