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今週の喝 第1001号(2024.07.29~08.04)〜「梅忠サウンド」の誕生!〜

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成功への道しるべ!この世は全て催眠だ742
「梅忠サウンド」の誕生!

 私はいままで、この歌の世界で二度お門違いな歌手の歌を聞いたことがあります。1度目は20歳の時に作曲した盟友・西村光照さんと作った我が町の歌「今津音頭」です。この時は、町の人達がこの曲の発表会の時に歌って下さる方を見つけようとくまなく探した結果、阪神電車のすぐ北側で民謡教室を開き、お弟子さんが200人ほどいる先生を紹介して貰いました。
 皆さんは、楽曲が小節毎に(または小節内でも)ハーモニー(和音)が変わってゆくのをご存じだと思います。その移り変わりを“コードネーム”で記(しる)し、ギターやピアノ、それに低音を受け持つベースといった和音を奏でることの出来る楽器は、指定されたリズムをその和音内で演奏して軽快さを出すのです。もちろんこのような機能的且つ便利な方法を考えついた西洋の音楽は、素晴らしい発明だと思います。
 コードネームとは、例えばメロディーだけを書いた楽譜(メロ譜)の上に、“C”“F”“Dm”(ディーマイナー)“G7”(ジーセブン)などと記し、その和音内の音を基本に不協和音が生じないように演奏してゆくのです。G7(ジーセブン)とは構成音でいうと、「ソ・シ・レ・ファ」です。このコード(和音)の勉強を、私は受験をひかえた高校2年生の時に「コード」(和音・和声)というものが総ての音楽にはあり、一つのメロディーに対してどういう推移(進行)で和音を付けるのかが、作曲家や編曲家の腕の見せ所なのだと気づき、高2でこれに取り憑かれ、没頭したのです。そんな訳で、それはもう楽しくて楽しくて仕方がありません。もちろん言い訳ですが、このような事情で私は大学受験を我が校始まって以来の成績で失敗してしまいました。(受験した大学7校の全てが不合格!)
 強がりを言うようですが、その所為で、今では“梅忠サウンド”と呼ばれる独特の「和音付け」が出来るようになり、今も作曲や編曲にシッカリと用いております。

 

      ★★お囃子(はやし)は日本一流の和楽器アーティスト★★

 

 さて、私は音楽には三要素があり、お弟子さんが200人も持っている(いくら地元の民謡の師匠)と雖(いえど)も、「共通語」であると思い込んで、その先生の社中(メンバー)の方(歌手、三味線、お囃子)にその楽譜を渡したのですが、日本の音楽(民謡etc.)には、そのような掟は全くありませんでした。これは、完全に私の認識不足でした。こんな状況下で、我が母校今津中学校の音楽室に一堂が会し、“今津音頭”の練習が始まりました。すると、三味線は付点八分音符と十六分音符の組み合わせ(普通に効くと「ピョンコ、ピョンコ」と聞こえます。そして西洋音楽にあるコードなど全く無く、(ドッソラッソ、ドッソラッソの繰り返しのみ)お囃子(鉦(かね)や小太鼓(こだいこ))も、楽譜の指示などお構いなしで好き勝手に叩くため、単純なリズムの繰り返しです。しかし大太鼓だけは中学三年生の佐藤君が引き受けてくれたため、十四歳(中学3年生)とは思えない素晴らしいリズムでイントロを演奏します。
 素晴らしいのはここまで!……いざ、歌の部分に入ると、三味線もドッソラッソ、ドッソラッソの繰り返しのみ、それに歌の先生も吹奏楽の大音量に負けじと声を張り上げたので、三回目には声が枯れてジャリジャリになり、休憩を余儀なくなりました。
 この状況を側で見ていた町のお偉いさんの長、今津連合福祉会会長・浅尾一雄さんは、ご自分でも祇園や先斗町・宮川町に贔屓(ひいき)の御茶屋があり、耳が肥えている方だったため、この状況にドクターストップを掛け、この日はここまでとなりました。しかし、こんな状態でレコーディングにこぎつける訳がありませんので、同席していた我が父・梅谷郁郎(いくお)にハッキリと「これでは音楽にならないので、歌手、お囃子の全てを探し直して欲しい」
と、その旨を伝えたら、音楽が素人レベルの我が父の回答は、
 「辛抱せい!もう皆さんにお願いしてしもとるんやから今更“お断り”など出来る訳がない」
といいます。しかし私は引きませんでした。そして音楽室の隣の準備室で、恥ずかしい話しですが、殴り合い寸前の口論にまで発展したのです。それを見ていた会長の浅尾一雄さんは、私と父の中に入ってくださり、
 「梅さん(父のこと)、息子の言う通りや、あれでは金(制作費)をドブに捨てるようなモンや。ワシに任しとけ!」
とその場を収めて下さいました。
 ということで、民謡教室の方はここまで。それから三日ほどして、会長から私と父に連絡があり、「今から、京都に行くから用意して4時に我が家に来て欲しい」と連絡が入ったのです。後で分かったことですが、浅尾会長の顔で祇園宮川町の女将・里千代(さとちよ)さんというとても美しい「お母(かぁ)はん」を紹介してもらい、私の要望をじっくりと聞いて下さいました。そして、その場でパッパとプロの方々に電話して、スケジュールを調整して下さったのです。こういうことで歌手は今藤長之(こんどうちょうし)さん、そしてお囃子全ては藤舍(とうしゃ)流一門の方が引き受けて下さることになり、中でもレコードB面にカラオケとしてメロディーを和笛で入れたかったので藤舍秀明(とうしゃしゅうめい)さんが引き受けて下さいました。この方は私が子供の頃、ワクワクして見ていたテレビドラマ「隠密剣士」のバック音楽を務めておられた方でした。
 
  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/