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今週の喝 第1000号!(2024.07.22~07.28)〜才能よりも“この世は金”の世界!〜

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成功への道しるべ!この世は全て催眠だ741

才能よりも“この世は金”の世界!

 

 一つの演歌が世に出るまでには、それはそれは多くの人達の努力や愛に支えられなければ“日の目”を見ません。皆さんも、TV等で小林幸子さんの歌を聞いたことのない方はおられないと思います。彼女の歌唱力……演歌の場合だと楽曲の音程リズム感、そして、小節(こぶし)廻(まわ)しや、その歌の情感を適切に表現する音楽性etc.歌手に求められる素養だけでも数えだしたら、その要素はキリがありません。
 サッチン(小林幸子)は、九歳の時、素人のど自慢に出演し、そこに審査員としてたまたま居合わせた日本を代表する作曲家・古賀政男先生に見いだされ、東京の古賀先生を頼って上京したのです。その時、両親を初めとする家族も新潟市の実家を畳んで(彼女の父の職業はお肉屋さんで、そのお店の名物がコロッケでしたので)子供の頃のあだ名は“コロッケ姉(ねぇ)ちゃん”と呼ばれ周りの人達に愛されていたと伺っております。そこで、家の手伝い(コロッケを揚げながら)鼻歌を歌っており、その独特な絶妙の小節(こぶし)廻しが近所でも評判だったようです。
 そして、古賀政男先生ご自身の作曲「うそつき鴎(かもめ)」で、デビュー!当初は、大作曲家に認められた天才歌手との触れ込みでデビュー。当初は、マスメディアにも大いに取り上げられたのですが、“流行歌の世界”は「熱しやすく、冷めやすい世界」ですので、“歌の上手さ”だけではあの過酷な世界で戦い抜くことはほぼ不可能でした。故に翌年(幸子10歳)には当時流行っていた他の有名歌手の歌(カバー曲)で地方巡業に出される始末です。
 このように歌手の歌唱力だけでは勝負はできません。やはり、素晴らしい持ち歌がなくてはダメなのです。そして、一般大衆の「厭き性」も世の倣(なら)いですので、プロダクション側としても、給料を支払っている以上、いくら才能があるとはいえ、遊ばせておく訳にはいけませんので、確実にギャラを稼げる地方都市のキャバレー廻りや温泉宿巡りをさせて「損失が出ないように」と穴埋めをさせるのです。本人が如何ほどに“歌が好き”とか“才能がある”など、周囲が認めても、嫌な話しですが、プロダクションにお金を入れられなければ、どうにもなりません。まさに「この世の中は金次第」なのです。

 

        ★★シャンソン歌手の唄う「おもいで酒」★★

 

 そして、「鳴かず飛ばず」の内に彼女は24歳になっておりました。その秋に、私の側は兵庫県会議員の今西えい児先生との出逢いがあったり、大阪のABC朝日放送の事業部副部長で時々演歌の作詞をされていた高田直和先生と出逢い、たまたま私達の運命を大きく変えて行く「おもいで酒」の詞を手渡され、正直に申しますとその楽曲を歌わせる歌手も決まらないまま(ここは、秘話ですので、この文章をお読みの皆さんだけの胸にしまっておいて下さい)、「もうあの曲はできましたか?」と急(せ)かされました。 後に分かったことですが、高田先生は、ABCの事業副部長という肩書きを持っていましたので、特に伊藤ハムがスポンサーとなって「歌のゴールデンショー」を毎月収録し、東京のプロダクションもその番組に出演させて貰おうと、有名な歌手から色々なジャンルのプロ歌手まで、大勢の人達との関係があったようです。ですから、先ずは楽曲を持っておいて、
 「ジックリと落ち着いて歌手を探せば良い!」
と考えられていたようです。
 こういう紆余曲折の内に季節は昭和53年の夏になりました。(作曲が完成したのが、この年の1月頃ですので半年が経過したことになります)
作詞の高田先生から、突然私の所に連絡が入り、
 「梅忠はん、良い歌手が見つかりましたので、今すぐ大阪朝日放送に来て下さい。そしてその歌手の歌を聞いて下さい。その前にアレンジも……」
と、突如、朝日放送の第一スタジオに行くことになりました。そこで高田先生は、急に歌手が決まって
 「この楽譜を見せたら、唄いたいと言うので、私の知り合いのニューソニック・ジャズオーケストラの小坂努さん(「あなた」で有名な小坂明子さんのお父さん)にお願いして、そこのアレンジャーに歌伴を作って貰ったので、スンマヘンなぁ!……ということで、もうアレンジまで出来てまんねん」。
と言って先ずはそのアレンジを聞かせて貰いました。その編曲は今も私の手元に残っておりますが、それはそれは古式豊かなズンチャカ演歌で、私のイメージとは程遠いものでした。しかし、レコーディングの時は、自分の思いを入れ込んで作り直して貰えるということなので、一応納得!と言うことにしました。しかし、歌手の方は途中で何やら事故に遭遇したようで、その日は逢えずじまいでした。そして、その翌日、この「おもいで酒」を唄いたいと申し出た歌手の方と神戸国際会館で逢うことになりました。その方の名は、“逸見朱子(へんみしゅこ)さん”で専門ジャンルはシャンソン歌手といいます。この日は、伊藤ハム提供「歌のゴールデンショー」の8月収録分のステージでした。私はその時のシャンソン歌手逸見朱子さんの歌を聞いて、目の前が真っ暗になりました。演歌をシャンソン風に歌うので“情感”も何も伝わってきません。
 後で分かったことですが、逸見さん自身も「少しでも舞台に立てたら」という思いで引き受けられたので、「演歌だとは知らなかった」とのことでした。(ガクッ!)
 本番の彼女の歌を聞きましたが、全くイメージが違うのです。そんな時、高田先生の部下の一人が、
 「高田はん、わたしゃ素人でっさかい。偉そうに聞こえるかも分かりまへんが、何か全然お門違いなように思いますなぁ!」
ということになり、高田先生も納得されて、この話は「おじゃん」(おしまい)になりました。「おもいで酒」秘話です。
 
  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/