M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第981号(2024.03.11~03.17)〜プレストvsフォルテッシモ!しかも練習不足〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ723

〜プレストvsフォルテッシモ!しかも練習不足〜

 さて、私が中学一年生の時、毎年一月に開かれる宝塚大劇場での「アマチュア・トップ・コンサート」の時の思い出です。劇場にあるラストの大ひな壇(大階段)で、出演者全員が暗譜(楽譜を見ないで演奏する)で合同演奏してフィナーレを飾るのですが、私が中一の時の一番最後は、数年前に大ヒットした映画でイタリア・アメリカの合作大作「エル・シド」のテーマでした。日本では1962年に封切られていました。
 大スペクタクル映画と言えば、最も有名なものは「ベン・ハー」です。この種の映画で大成功を収めた俳優、“チャールトン・ヘストン”が主演、そしてその相手役の女優は“ソフィア・ローレン”でした。この映画のラストは、とても印象的で既に死んでしまった主人公の英雄「エル・シド」(実在の人物で、本名はロドリーゴ・ディアス・デ・ビバールというスペインの近くのカスティーリャ王国の貴族)を、さも未だ生きているように馬に乗せ敵陣めがけて出陣させ、敵方(イスラム軍)は敵の大将は既に死亡したと思っていたのが、勇躍自分の陣地に向かって馬に乗って突進してくるので、蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑うことで大団円を迎える、とても印象深い構成と演出の映画です。実話を元にフレドリック・M・フランクが脚本を手がけ、日本でも評判になった映画です。
 そして、問題の音楽は作曲家ミクロス・ローザ。この序曲は、物語に相応しい力強いマーチのリズムに乗って、中低音が印象的なテーマをフォルテッシモで奏(かな)で、中間部の美しいメロディーを吹奏楽では木管楽器が受け持ちます。そして、エンディングは力強い重低音楽器に、高音部を受け持つ楽器が、アクセントを付けて超華やかに終わります。しかも、速度はプレスト(Prest:速度の中で最も早い部類に入ります)
 合同演奏という統一の取れていないのと、映画もろくに鑑賞していない大人数のメンバーが、プレストで、しかもフォルテッシモで各自が音を出し、それがてんでんバラバラに間違うのですから、たまったものではありません。リハーサルの時から何処の団体もムチャクチャです。

 

★★「中学生と高校生」が演奏を牽引!★★

 特に、各団体でも年齢を重ねた団体ほど「お復習(さら)い」ができていないのには、中学一年の私は驚きました。常識的に、年齢が上になればなるほど下の者を引っ張ってゆくものだと思っていた私は、この時より大人をバカにするようになってゆくという“大きなミス”を人生の中に刻んでしまったように思います。演奏終了後、尼崎吹奏楽団の方や阪急百貨店吹奏楽団、また私の憧れでもあった関西学院大学応援団総部吹奏楽部の皆さんに、我々今中のメンバーは礼儀正しく「お疲れさまです!」と挨拶にいきましたら、頭をカキカキ「最後のプレスト、ゴメンね!」と謝ってくるのです。
 本番前に、指揮者の大阪フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者であります朝比奈隆先生自ら、私たち今津中学校と奈良の天理高校吹奏楽部の控え室にお出でになり、「ラストのプレストは君たちのリズム感に任せたのでよろしくな!」と言いに来て下さったのには驚きました。
 そこで、我々が誇るトランペットの先輩(中学3年)の友常(ともつね)さんが音頭を取って、今中と天理高校で合同の最終練習をしたのが今もまぶたの裏に残っています。この練習の時に友常先輩は、「誰がどんなミストーンを出そうと、僕たちがキッチリと演奏して、高い入場料を払って聴きにきてくれているお客様達にシッカリした音楽を聴いて貰おう……!」と、“檄(げき)”を飛ばしたのがとても印象的でした。勇気のある行動そのものが感動を呼び、そして、それが人から人への伝わってゆく“引き寄せの法則”を垣間見た私の人生で一番最初の経験でした。
 そしていざ本番!今津中学と天理高校のメンバーは、練習の成果もあって、バッチリとリズムを刻みました。大学以上(大人達)は、最後まで練習よりも夕飯の方に流れてしまったことで、私は益々大人達の横着性に辟易としたのを鮮明に覚えています。彼らも「金儲け」になると死に物狂いになって活動すると言うのに……。この時、音頭を取って高校生をも引張っていった友常先輩のリーダーシップの凄さに益々感動し、好意を感じたのを覚えています。
 この事以来、どんなことにも真摯に真剣に立ち向かってゆくことの大切さを学び、友常先輩のように学年でも優秀な成績を取った人の秀逸性は感動を呼び込むことを目の前で体験したのです。
 このころから、後に「日本一に返り咲かせてやってくれ」と関学の先輩である(先般亡くなられた)今西永児先生の関西学院の学生さん達は、やはり“積極性”というものに陰りがあったことを感じておりました。(それが大きな縁となって後に花開くのですが……。)
 私自身、このアマチュア・トップ・コンサートが終われば今津中学でレギュラーとしてやってゆかねばならない時期の出来事でしたので、気合いが入りました。そして友常先輩のように先鞭をつけて我々の学年のみんな、そして一年上の先輩に真剣について行く覚悟を心に認(したた)めたのを覚えています。それこそ、何ごとも「舐めたらアカン!」のです。
 それから、先回この項に書きましたが、宝塚のフィナーレの大階段の隣にいたのは、今では超有名な大女優・黒木瞳さんだったと、うろ覚えでしたが後に大阪のテレビ局ABC朝日放送の朝の番組「おはよう朝日です」でお目に掛かったとき、その当時の事を伺いましたら、やはり一緒に舞台に立っていたようです。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/