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今週の喝 第971号(2024.01.01~01.07)〜おめでたい人間、梅谷忠洋!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わるVol.972
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ713

〜おめでたい人間、梅谷忠洋!〜

 この「今週の喝」を読んで下さっている皆さま、令和6年甲辰(きのえたつ)の幕開きです。新年明けましておめでとう御座います。今年も書き続けますので、ご愛読の程、どうぞ宜しくお願い致します。

 話を進めましょう。
 さてさて、残念ながら大川創業社長・大川進一郎さん存命中に「大川管弦楽団」は実現しませんでしたが、私は大川さんから何ごとにもシッカリとした目標設定(形)をして、そこに「何のためにその目標を完遂するのか」という目的意識を明快にして、ゆるぎない「道」を心に据え置くことを、自らの行動とそれに向かう姿勢で私に示してくれました。
 しかし、当時の私はそのような考え方が一つの“成功”を導くことなど全く理解できていませんでしたので、当時の私はごく一般的な考え方の人間でしたから、只々、
 「感動する音楽を精一杯の心で演奏し、後は努力あるのみ、練習あるのみ!」の今中魂一本の人間でした。
 しかし、この頃私は不意に書いた「おもいで酒」が大ヒットし(その作曲時も努力無しに、わずか三分足らずで書き上げた)、自分の中にメロディー製造装置があるが如く湧いてくるので、自身が過信になり、自分の周りの状況もしっかりと把握せず、「行け行けドンドン」でした。今で言うと完璧に“自惚れ”ていたのです。
ここで体験しましたが、「行け行けドンドン」や「自惚れ」に填まった人間は、調子のよいときは良いのですが、一度スランプに陥ると、「万事休す!」……“為す術なし!”。まさに「五里霧中」状態で、今では皆さんに声高に説いている「目標+目的=道」というごく当たり前の法則ですら、眼に止まらないだけでなく、自分のフルートの腕で生きているという過信も手伝って、そこに「成功方程式」という“珠玉の法”があるなど全く考えることも出来ませんでした。
 それどころか、大川進一郎さんがどうして「全くお門違いのフルート奏者にクラリネットを習いに来たのか」という原初的な疑問すら起きませんでした。ただただ感動を呼び、心が共鳴した故と簡単に考えていたのです。今から考えれば、私は本当にめでたい人間でした。
                                        
★★「挨拶(あいさつ)」VS「罣礙(けいげ)」★★

 大川進一郎さんの心中にあった、壮大な夢や計画など知る由もありませんでした。ただただその頃は、大川氏の行動やそのトリガーとなる、基本的思考など分かる由もなく、大川氏の言動は「大法螺(おおぼら)吹き」としか思っていませんでした。しかし、一緒にいると「為になる」と思わせる内容の話しと、とにかくその話し方に「ユーモア」があり時間を忘れる事も屡々で、不思議と引き込まれていった印象が今も強く心に残っています。
 今、その当時を思い返すと、自分が有頂天になっているときは、本当に素晴らしいイデオロギーも深遠な考え方も自分の心を自分自身でガードしてしまっている時は、全くの盲目状態になるのです。この時期、我が祖母・芳枝が亡くなった時(忠洋十歳)、我が家の菩提寺・海清寺の当時の住職、春見(かすみ)文勝(ぶんしょう)老大師(ろうたいし)の示唆で覚えた「般若心経」の一節“心(しん)無(む)罣礙(けいげ)”の意味がやっと分かりかけたのです。“罣礙(けいげ)”とは「心の鎧兜(よろいかぶと)」のことです。鎧兜は外からの防御のために身につけるものですが、外からの脅威に身を包んでしまえば、逆説的に言うと、中からは「暗中模索状態」です。だから、周囲のことは全く見えない状態です。心を罣礙状態にすると言うことは、「自分自身を蒙昧(もうまい)にする」ことなのです。
 人の心は常に「挨拶(あいさつ)状態」にしておくことが肝要なのです。挨拶の「挨」は“心を啓(ひら)く”、「拶」は“相手に逼(せま)る”意味ですから、人間は、常に心の状態を「心を啓(ひら)いて、相手に逼(せま)る」ことで外界と交信することが肝要なのです。ですから「罣礙(けいげ)」の反対語は「挨拶(あいさつ)」ということになります。
 このように見てゆくと、心を鎧兜で締め切ってしまう(罣礙状態)は、他人から自分を護っているようですが、天上から見ると情報を閉ざしているのです。今だからこのように理解していますが、あの頃は七転八倒(苦)の中にいたように思います。
 これを天上から見ると、人間はその在り方に気付くための必須条件は、“苦”の一言ということになります。つまり“苦”は、外界(天・神)との交信をする為に、その存在を気付かせてくれる最大要因だと思います。つまり“天・神”は我々に決して「ご利益」というような生温(なまぬる)い形では接してこないのです。
 ですから、お正月=「心を正す月」は願い事をするのではなく、どんな苦難を「天・神」より与えられようと、心を啓いた状態(素直な心)で、「どんな艱難(かんなん)辛苦(しんく)にも耐える」覚悟を誓うことが“正しい初詣”だと私は確信しています。
 令和6年(2024)を、本当に素晴らしい年にしたいならば、今日の午前十時まで(元旦)に、一年の計の誓いを「天・神」と契りを結ぶが如く、「忍耐」を養って私たちは“同行二人”で常に同じ位置にいる事です。
 結論……「天・神」は我々に気付きを与える為に、そのトリガーを「苦」を起爆剤としたのです。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/