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今週の喝 第964号(2023.11.13~11.19)〜福娘→落選、ニュースキャスター→合格〜

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成功への道しるべ!この世は全て催眠706
〜福娘→落選、ニュースキャスター→合格〜

 さて、田中裕子(今の嫁さん)の話を少しお聞き下さい。JOBK(NHK大阪放送局)の2階の喫茶店で偶然にも出逢ったのは、エレクトーン奏者であった私の以前の恋人(Tさん)のお兄さんが結婚するということで、裕子は唄を歌って欲しいとエレクトーンさんに頼まれたのです。そんな折、丁度、私は浜村淳さんが作詞した「おぼえています」という結婚式ソングの作曲をした直後だったので、「この曲を歌えば良いよ」と軽いノリで渡したのが切っ掛けでした。軽いと言ってもプロ(私のこと)が作った歌ですので、練習を付けて欲しいと裕子から依頼があり、私の家でレッスンすることになりました。
 裕子は、大阪庄内にある大阪音楽大学声楽科卒業で、NHKの地方局のニュース番組のアシスタント募集でテストを受けたところ、見事にスカウトされたという経緯の持ち主です。後に聞いたのですが、大阪には今宮戎というとても賑やかな神社(商売の神様)があり、その神社は毎年“福娘”を募集し1月10日~11日の三ヶ日、神社で“福笹”の売り子をやるのです。この行事は、大阪ではけっこう有名で、応募者も多く、競争率もとても高いので有名です(西宮の住人である私から申しますと、あくまで戎神社の総本社は西宮戎です)。田中裕子は、NHK“ニュースワイド640”だけではなく、この福娘にも応募し、見事に「×落選」だったそうです。後で聞いた話ですが、そんな裕子がNHKのニュース番組のアシスタント募集に、大学の学生課の推薦で応募したところ、一発採用されたのです。採用した御仁は、当時の報道部長・堀井良胤(よしたね)さんだったというから驚きです。
 私と裕子の両名をNHK大阪放送局に迎え入れて下さったのは、何とNHK報道部の堀井部長が“御縁”なのです。この方は、最後には大阪放送局々長まで上り詰められた英才です。このようにして合縁奇縁で結婚の運びとなりました。

 

★★金と暇はタップリあるけれど、夢と希望がない!★★

 と言うことで、私たちの結婚はNHKが在ってのこと!しかし、私の師匠はここまで私を私たらしめて下さった今津中学校の得津武史先生「梅谷君が結婚するときはワシが仲人(なこうど)をしたるさかいな!」と言ってもらっていたので、得津先生にお願いすることになりました。そこで仲人のお願いに得津武史先生宅を訪ねたときのことです。
 「ホンマにワシでええんか?今迄、18組引っ付けたけど、その内16組は離婚しくさったけど、それでもかまへんか?それに、ワシも1回離婚しとるさかいな。」
と、半分苦笑いでチラリと我々二人を見て笑うのです。こんな形でスタートした私たちの結婚ですが、綾小路(あやのこうじ)きみまろさんではありませんが、
 「あれから40年!」
色々な山坂を超えながら、私も齢71歳になりました。
 そして現在、私たちの仲人をして下さった得津先生ご夫妻も、御両名とも身罷られ(奥様は今年逝去されました)、今、当時の事を呵々大笑(かかたいしょう)を交えながら話せる人は、我が中学校の時の美術の伊勢昌史先生とNHKの堀井良胤さんの御両名です。我々が結婚式を挙げたのは、我が家から歩いて5分のところにある“福應神社(ふくおうじんじゃ)”です。この神社は私のお宮参りをした所で神主さんともとても親しいのでリラックスの中で挙式を終えることが出来ました。(福應神社を早く読むと“不幸神社”に聞こえるから要注意。)
 何はともあれ、我が妻・裕子も“結婚”には女性としてのささやかな夢を持っておりました。無事に結婚式の次の日、新妻・裕子は、
 「あなた、行ってらっしゃい」
と言って、夫(私)を送り出すものだと思っていた様なのですが、当時の私は、一週間の内、金曜日の午後6時からたった1時間だけ…「BKジョッキー・梅忠のサウンドボックス」しかありませんでしたので、新妻は夫を送り出す先がありません。仕方なく、起きた後「あなた、会社には行かないの」と言いかけて、ハッと我に返り、小声で「行く会社はないんだ…!」と腑に落としたそうです。
 従って、することがないので新婚生活第1日目は、我が町・今津を午前中いっぱい掛けて散歩して回ったのが、今では良き思い出です。この当時の事を、講演などで話すとき、
 「その当時の私は、暇がたくさんあってお金は、ま、当面の生活には困らないくらいの著作権料が著作権協会から振り込まれてきたので、お金を気にすることも必要ない。しかし、夢と希望がわき上がってこない!」
と、その頃のことを振り返ります。世間一般の人は、「お金があって暇がタップリある」と言いますと、憧れに近い眼差しで見つめてくれますが、“夢と希望”がない人生は、一年中「心に秋風が吹く、侘(わび)しいもの!」ということを体験したのでありました。従って、甘い新婚生活の時節は、心に秋風が吹く歓びのないものでした。この時代があったからこそ、後に「人間の幸福とは」と深く考えるようになったのです。
 そして厄介なことに、著作権料は振り込まれてくるのですが、「このお金を使えば、次に入ってくる目処は次作がヒットしない限りない!」と、私自身とても「ケチンボ」になっていったのを覚えています。「夢と希望がない」と言うことは、ケチンボ性のトリガーなのです。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/