M&Uスクール

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今週の喝 第963号(2023.11.06~11.12)〜数奇な出逢いが起きました〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠705

〜数奇な出逢いが起きました〜

 さて、ここで私事の話しを少ししなければなりません。NHK大阪放送局でディスクジョッキーを拝命したその日(奈良県桜井市の池田栄三郎市長の仲介で報道部長・堀井良胤(よしたね)さんに紹介され、NHKに出入りできるようになりました)、堀井報道部長や番組担当ディレクターの中原さん、有本さん達と親しくJOBK(NHK大阪放送局のコールサイン。因みに東京は“JOAK”です)の二階にある喫茶店で色々と今後のことについて話していましたその時、私たちのテーブルに「梅谷先生お久しぶり、どうしてここBKにおられるの?」と声を掛けてきたアナウンサーがいたのです。
 私は、その時とても驚きました。そのアナウンサーの名前は田中裕子さんで、このBK発の看板番組で当初6時40分から大阪地方でおきたニュースやトピックス、天気予報を担当するアナウンサーでした。「縁は異なもの、味なもの!」と言いますが、この瞬間に、中原ディレクターは「君たち知り合いなの。それなら丁度良い!報道部での梅谷さんの机だけど、いまのところ置き場所がないので、君たち共有してくれる。」ということで、NHKで机を共有しながら勤めることになりました。
 田中裕子さんとの出逢いは、当時私のポップス系の音楽の演奏をしてくれていたエレクトーン奏者の友達で、以前そのエレクトーン奏者のお兄さんが結婚するというときに、まあ偶然にも浜村淳さんが「覚えています」と言う題名のこれから嫁ぐ娘を題材に書いた歌詞があり、毎日放送に行ったときに浜淳さんの作詞を預り、作曲依頼を受けていたのです。丁度その日に作曲を完了していたので、誰かにモニターで録音して貰おうと思っていた矢先だったのです。そこで、私は「丁度良いところであったね。田中さんこの曲(覚えています)を、今度モニターテープを作りたいので協力してくれる」とお願いしたところ、二つ返事で「はい、分かりました」
 こうしてトントン拍子に全てが前進して行きました。

 

★JOBKの喫茶店での奇蹟!★

 こうして、のたうち回りながらも番組はスタートし、浜村淳さんとの出逢いも太い絆で結ばれ、この「覚えています」は、後に有名コーラスグループのボニージャックスの皆さんによってレコード化されました。
 そんなこんなで、とりあえずのスタートを切ったDJの仕事でしたが、思わぬ出逢いが生じた事に運の不思議を感じずにはおれません。人生に於いてタイミングが合い出すと、面白いように縁が生まれることを体験しました。ですから、何ごとも前向きの姿勢で人生を歩む覚悟一つを持つと、神様は理想の方向に運命を運んでくれることを体験した瞬間でした。
 さて、ちょっとごまかしながら書きますが、例のエルクトーン奏者とは、当時、結婚の予定まで話は進んでいたのですが、そこには若気の至りと言ってしまえば簡単なのですが、エレクトーンのお嬢さんには申し分ないことをしてしまいました。また最悪なことに、このエルクトーン奏者と田中裕子は、とても仲良しだったから困りモン!
 さてさて、こんな経緯もあって、私も20代後半(裕子は24歳)です。ある日、「先生、相談があるのですが聞いてくれますか?」と言うことで(NHKへの)地下鉄最寄り駅(大阪天満)の上に(現在も建っている)OMMビル(大阪マーチャンダイズマートビル)の最上階の回転展望レストランで相談を受けることになったのです。
 してその内容は、私から言わせればとても贅沢な悩みでした。さてその内容は、彼女の持ち番組は「ニュースワイド640」という番組で、その番組を「毎日毎日熟(こな)している内にルーチン化してきて、胸がときめかなくなってきた」……(>_<)。どうすれば良いかという生意気で贅沢な相談でした。この問いに的確に回答した後、自分の考え方を変えて自己統御する方法をシッカリと伝えました。
 それ以降、田中裕子は、自分を客観的に見つめる方法を覚え、番組も朽見(くちみ)チーフディレクターから、番組の内容がとても先鋭な内容になってきたと、お褒めの言葉を頂戴したと聞きました。何ごとも自分に負けたらお終いだという事を、実感した次第でした。こうして、彼女との間は急激に狭まり、それから数年後に結婚に至るのですが、これも運命の為せるワザ!そして、それ以来田中裕子の困りごとは全て引き受けるようになり、私31歳、裕子24歳の時華燭の典を結ぶことになりました。結婚式の司会は「今津音頭」の時に知り合った「なにわのモーツァルト」こと「キダタロー」さん、そして毎日放送からは後に大阪市長にまでのぼりつめた平松邦夫さんもお招きして、一大イベントに仕立て上げ、来て下さったお客様に堪能して頂けるようにプログラミングしました。そして、我等が浜村淳さんは、私と裕子のそれまでの一代記を写真解説と共に素晴らしい弁舌で盛り上げて下さいました。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/