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今週の喝 第959号(2023.10.09~10.15)〜人は「想像力」すら乱されたくない〜

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〜人は「想像力」すら乱されたくない〜

 人間は、元来自由であることが基本です。だからこそ、ヨーロッパで生まれ育った(俗に言う)クラシック音楽は、その響きやメロディーから受けるイメージを固定化されることを極度に嫌がりました。こんな事情からポピュラーソングは、(現在でもそうですが)歌手が既に作られている“歌詞”にメロディーを付けたものを歌い、その歌手の“情感表現”如何によって他者の心に響けば(届けば)徐々に、人から人へと歌い継がれ、やがて有名な曲(ヒット曲)と言われるようになります。その典型の音楽が、私が足を踏み入れた“演歌”の世界です。
 演歌はその歌詞の内容がザックリ言うと「酒と涙と男と女、そして根性」ですから、それ以外のイメージはその楽曲から浮かんできません。すなわちヨーロッパの人達から言わせると、自分自身の観念を固定化してしまう故に、クラシック音楽が一つの到達点にあるのに対して、オペラやポップスのように“言葉”によって筋書きや方向性が決まっている音楽は「二線級の芸術」と考えたのです。
 従って音楽を奏でる方のオーケストラも、オペラの伴奏をする「歌劇場管弦楽団」と、交響曲など“純音楽”と言われるジャンルを中心に演奏する「交響楽団」に分けられるのです。このように同じように感じるクラシック音楽の中でも、西洋の人達は厳密に区別したのです。これもプライドが為せるワザです。
 しかし、「こんなプライドは無意味ではないか?」と感じた人々によって、“フィルハーモニー”という考え方が出てきました。直訳すると、「音楽愛好家集団」です。ウィーンフィルハーモニ管弦楽団とは「ウィーンにある自国で作られた音楽を、大切に守ってゆくことを使命としたオーケストラ」と言うことになります。意味を書くと長いので、「ウィーン楽友協会」と訳しています。
 日本の音楽では“社中”と呼んでいます。社中とは一人のリーダーがその楽団の演目(当日のプログラム)を決め、それに楽員達はシッカリその下(もと)で熱心に演奏していったのです。

 

★★音楽と美術は正反対の感性置換★★

 我々が、常日ごろ用いている「会社」という言葉は、その企業に集う仲間が全員集まれる場所(会所)に、意思が統一された人達(社中)が一堂に会して、方向性を持って丁寧に歩む故に“会社”という単語があの有名な幕末の志士“坂本龍馬”によって作られたのです。正(まさ)しく、ヨーロッパの「フィルハーモニー=Philharmonie」です。洋の東西を問わず、我々人間の文明の発展は、不都合の修正を基準にして為されているのです。
 しかし、歌を中心にした俗称:流行歌は、人の高度な頭脳思考である想像力を使わなくても、また友人達と気楽に共通の意思を共有できるため、音楽の世界をやがて席巻してゆきます。同じ芸術でも絵画の世界は、その逆の道を辿りました。初めは具象的写実的に描いていましたが、写実や言語では物足りないそんな心が芸術家達に生まれ、だんだんそれが抽象的表現に発展してゆきました。
 音楽の世界は、リスナーの心を惑わせ乱されることを極力避けようとしたのですが。絵画の世界は、作者が「私の心の動きを理解せよ」と言わんばかりに抽象的に発展させていったのです。このように考えると、人間の感性も“バランス良く進化”してきたことが分かります。
 先回も申しましたが、一般に芸術と言われる世界は、我々人間の心の奥底にある想像力を如何に用いるかが主眼となっています。従って、ポップスの世界は、それを愛好する人達の心を一つに固定化してしまう故、自分が高尚だと思っている人達(たとえば、クラシックファン)からは蔑(さげす)まされたのです。しかし、絵画や彫刻の世界は、具象化したものをそのまま表現するのではなく、そこに表現した作品を一般大衆に露呈することで、その人達の想像力を探ることにもなり、そのレベル(程度)こそ、その人間の能力と判断したのです。
 私の中学時代の美術の恩師である、伊勢昌史先生の展覧会を見ても、私と同じ風景を見ているのにもかかわらず、私自身は(例えば“海”ならば)それが映画の映像のように浮かんできますが、先生の絵画からは、その波に翻弄される船、そして、その波が“怒濤”へと形を変えて私の心に訴えかけてきます。もちろんそれが“芸術”というものです。そこで私は、毎度先生の展覧会に赴くと、先生の作品から、如何に私が感化を受けるか、そしてその感化からどのようなメロディーが浮かんでくるか……これが私の鑑賞法なのです。
 これも、生意気ながらロシアの作曲家ムソルグスキーが友人の遺作展覧会の絵画から受けた印象をピアノ曲「展覧会の絵」にしたのと同じように、自分をストラビンスキーになぞらえたいという思いの表れでしょう。そして、そのピアノ曲を聴いたフランスの作曲家モーリス・ラヴェルは、そのスケールの大きさに感動して「まるで管弦楽曲のようだ」と感じ、自ら進んでそれを管弦楽曲にアレンジしたのでした。今ではラヴェルの編曲の方が有名になり、TV番組のテーマに使われたり、色々な形で世界中で演奏されています。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/