M&Uスクール

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今週の喝 第958号(2023.10.02~10.08)〜人は「想像力」のなかで己を解放する〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ701

〜人は「想像力」のなかで己を解放する〜

 芸術とは、粗っぽく表現すれば「感性置換である!」と言い切っても良いと私は考えます。
 人は、何故旅をしたくなるのか……?また、趣味にレコード鑑賞やスポーツ観戦をする人が多いのは何故か……?こんなことを、私は始終考えておりました。普通の人間は旅をして、今までと違う風景等に浸ると、今迄の自分を取り巻く雰囲気との違いから、さも自分自身が変化したように感じるからだと思います。そして、音楽を聴く時も、そのメロディーから自分を物語の主人公と想像したり、その音楽から感じ取れる風景や情景を心に思い描き、その中に身を置いて今までと違った異次元の自分を連想し、その違和を楽しむのです。それが高じた人達は、冒険家や探検家を志したり、またその想像を膨らませて物語を創作する文筆家や小説家になったりするのです。
 また、スポーツ観戦をしている人を観察すると、単純に贔屓(ひいき)のプレーヤーを応援している人もいますが、その選手に自分が成りきって、その試合を想像の中で戦っている場合もよく見かけます。Situation(状況)はどうであれ、人間は現状を打破し、より広い世界へ自分自身を跳躍させ、その異次元の雰囲気に浸ることで夢や希望を膨らませているように思います。
 そんな中で、人一倍、感受性や想像力の強い人は、芸術家や冒険家となって、想像の世界と、これから起こるかも知れない艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えている勇猛果敢な自分を想像し、その中でその物語の主人公となって、想像の世界を現実化し、歩みたいと考えたのです。それはとても難しい世界ですので、先ずは想像の世界を征服したいと考えて、音や香りを絵画に、風景や情景を音楽にと感性を置き換える術でもって、空想の世界を創り出していったのです。ですから芸術の世界は、その受け手側が“自由”であることが要求されたのです。

 

★★固定観念を打破した者に与えられた特権!★★

 

 従って、人間にとって最も開放された心が「想像力」なのです。私たちM&U SCHOOLが願望実現の三要素(呼吸・集中・イメージ)を発見し、それが当を得ていたのは(自画自讃ですが)、想像力の中に全ての鍵があることを芸術的感性から見つけ出したのが起因です。
 ですから、本来自由であるべき想像力を沸き立たせる(交響曲などの)純音楽に歌詞を付けた、ベートーヴェンはそれはもの凄い非難を浴びたことは想像に難くありません。我が父・郁郎も私が静かに交響曲を聴いていると、しょっちゅう「その音楽は、何を表しているねん?」と、口を挟んできました。「歌謡曲なら“題名”があるのに、なんで交響曲は第○番と番号で呼ぶねん……?」。人間にとって想像の世界こそ“自由至極”でしたので、どんな疎外も許さなかったことからスタートしています。
 我が父の世代は、敗戦の空腹から必死の思いで“命を繋いできた世代”ですから、想像の世界を楽しむ余裕などは持つことができなかったのでしょう。そして、やるかやられるかの戦争の世界を生きてきたのですから、そんな余裕などあろう筈もありません。ならば、お互いの感性の違いなのですから、そっとしておいていてくれれば良いと思うのですが、父の時代には「趣味」などという“贅沢な世界”は存在しなかった故、「贅沢は敵だ!」とばかり、悠然と音楽を聴いている人間が許せなかったのだと、今になれば理解しています。このように父のことを思い出しながら文章を書いているときも、私のすぐ後ろに父が(正確には父の霊魂が)支えてくれているように思えてなりません。
 私も齢(よわい)70を越えて、初めて我が両親が必死になって私たちを育ててくれたことを実感できるようになりました。人の人生に於いて「気付くこと」に本当に長い時間がかかることを心底実感する今日この頃です。

 さてさて、この“感性置換”は誰にでもできるのでしょうか……?
私は(訓練すれば)人間は誰しもこの能力が潜在意識にある故、出来るようになると信じております。しかし、残念なことに我々人間には、私たちの根本的性質の元である心の奥深いところに“固定観念”が横たわっているため、それがその人間のあらゆる思考行動の基となる故、先ずはこの「固定観念の打破」から始めなければなりません。
 ベートーヴェンは、彼の音楽構成の奥底に眠る基本が、常に「苦→勝利」へと向かう希望的要素であったために、「それなら、終楽章にシラーの(歓びの歌)で締め括ろう」と無意識的に浮かんだのだと私は考えます。
 我々人間は、常に自分自身との葛藤でその生涯を閉じますから、「敵はまさしく自分自身の中に存在する“固定観念”だ」ということに気付きました。時代を変えてゆく覇者は、何時もこの“固定観念の打破!”に成功した人間が成していることは、我々の歴史が明快に物語っています。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/