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今週の喝 第951号(2023.08.14~08.20)〜“昭和”は、日本中が統一が取れていた時代!〜

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“昭和”は、日本中が統一が取れていた時代!

 さてさて、我が人生でもう一つの邂逅(かいこう)(人生を変える出逢い)の話しをしなければなりません。20歳の時に宇宿允人先生に出逢いスカウトされ、25歳で思いもよらず「おもいで酒」が大ヒットし、年末のレコード大賞の会場で、賄賂の世界を知り(目の当たりに金銭授受の現場を見た)、人間社会の負の部分を知ったときに、生真面目さと要領の悪さが幸いしてか(災いしてか)よく分かりませんが、こんな世界“嫌だ!”と強く思ったことは覚えています。
 にもかかわらず、自分の作った歌のヒットによって、今迄、手にしたことのないようなお金が著作権協会から振り込まれてくると、私の心に潜んでいた「欲望」のスイッチが「カチッ」と入ったのです。もちろん、元来、小学校五年生で聴いたドヴォルザーク作曲の交響曲“新世界より”が点火剤となって、音楽の魅力に引き込まれ、その虜(とりこ)になっていたのですが、我が家庭では私が好きになったクラシック音楽を愛好する者はいませんでした。しかし、その頃の一般家庭と同様に、テレビ全盛の時代に俗に言う“歌謡曲”のレコードは少しありました。
 その当時(私が中学1年の時)、「東京オリンピック」が開かれ(1964)、高校3年の時には、大阪の千里丘陵で「大阪万国博覧会」(1970)が開催され、我が母校今津中学吹奏楽部も夏休みの間の3週間近く「おまつり広場」でのページェントに毎日参加し、私は受験勉強そっちのけで、「付き添い」として後輩達の管理と、自分の興味からずっとお祭り広場に入り浸りでした。
 その時の総合プロデューサーは後にとても深いお付き合いをさせて頂く宝塚歌劇団の理事・内海(うつみ)重典(しげのり)先生です。そんなこんなで、ふたつの世紀の祭典が開かれたのですが、その時、巷に流れていた流行歌は、「東京五輪音頭」(東京オリンピック)と、「世界の国からこんにちは」(大阪万博)で、音頭調と歌謡曲調のものでした。そして、これらを唄った歌手は、二曲とも“世紀の国民的演歌歌手”・三波春夫先生でした。我が今津の商店街も、ラウドリースピーカーから連日大音量で流れておりました。今思い返すと、昭和最盛期の雰囲気が最高潮に盛り上がり、「日本人らしさで統一されていた」のがとてもなつかしい思いでです。

 

★★日本人の真心を教えられた最後の世代★★

 我が家は、五歳年下の妹が幼少期より日本舞踊を習っており、和楽の系統の家でした。そんな事も一つの理由で、音楽に関してはあらゆる局面で反対してきた父・郁郎(いくお)も“街の歌”「今津音頭」の制作の時は、後押ししてくれたのだと思います。そして現在お盆の時期には、今津小学校の校庭では、「今津サマーフェスティバル」と称して多くの夜店が出て、校庭の中央には立派な櫓(やぐら)が組まれ、老いも若きも賑やかに我が「今津音頭」を大勢で踊っています。そして、この「今津音頭」の振り付けは、我が妹・花柳(はなやぎ)泰姿菜(やすしな)(後の細見泰子)です。
 懐古趣味と言われるかも知れませんが、「あの頃の日本は、全ての国民に一体感があり、素晴らしい感動と努力の成果を感じる時代」でした。こんな10代を過ごした私ですが、一つだけ貫いたことは、“音楽に対する情熱”だけは衰えたことはありませんでした。そして、一家の者皆が、歌謡曲ファンと言うこともあり、私も抵抗なく“音頭や演歌”を受け入れることが出来たお蔭で後に“大ヒット曲”に恵まれたのです。やはり心身共に傾注することによって大樹に成長することを実感しました。
 しかし、大ヒットを経験した所為(せい)で、五欲(その中でも金欲)に火が点きました。さて、「金銭授受」の現場をレコード大賞の会場で垣間見たにもかかわらず、自分自身があんぐりと口を開けた“欲望”の悪魔に全身全霊を乗っ取られそうになりました。
 この頃の私は、清廉さと欲望の狭間で大葛藤をしておりました。大いに迷っていたのです。金銭は、(犬句や生命以外)何でも手に入る様に錯覚し、我々人間の大きな煩悩を呼び起こす最大限の点火剤です。それは、「金があれば、何でも手に入れることができ、幸福までも自在になる」という幻想です。

 そんな悶々とした日々を過ごしていた折、私の電話に全くお目に掛かったことのない方からコールがありました。その内容は耳を疑うようなものでした。な、なんと
 「スプーンが曲がる音楽を作曲して欲しいのですが!」
という唐突なものでした。その頃の私は、「心中は大葛藤の真っ只中」でしたので、作曲の仕事はほとんどなく、完全に自分がまいた種であるにもかかわらず、完全に“人生に焦り気味”でした。そんな時の、作曲の依頼です。その当時、巷では心理学者のジークムント・フロイトの甥にあたるユリ・ゲラー「念ずるだけで、スプーンが曲がる!」を謳い文句にスプーン曲げが大流行しておりました。そんな時の依頼でしたが、本来は疑い深い私が、“疑いもせず”簡単に引き受けてしまったのです。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/