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今週の喝 第950号(2023.08.07~08.13)〜“昭和”は怒濤の津波に飲み込まれたような時代!〜

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 “昭和”は怒濤の津波に飲み込まれたような時代!

 我が師・宇宿允人先生の口癖!それは、
「音楽家はミスをしても命まで奪われない!」でした。
 しかし、私はその昔、仙台で行われた全日本吹奏楽コンクール中学の部において、残念ながら今は廃校(平成16年3月)となった東京都豊島区立豊島第十中学校に惜しくも優勝を奪われ2位になった苦い経験があります。
 我が今津中学校の吹奏楽顧問であった得津武史先生は、旧日本軍関東軍(旧満州守備が目的)出身で、「その地方に住む人々や守備隊の兵達の士気を軍楽隊を編成して鼓舞せよ!」という中隊長の鶴の一声で、戦友達を掻き集めて軍楽隊を作ってコンサートを開いたことが嚆矢となり、吹奏楽の魅力にはまったのが切っ掛けでした。
 こんな経歴の持ち主ですから、先生の根柢には何ごとも「命懸けでやる」という感性と感覚がしっかりと潜んでいたのです。そこに我が師・宇宿允人先生との邂逅が拍車を掛け、根本にある感性が響き合ったのだと思います。このように書けば、現在では異常、異様に感じる方もおられるでしょうが、私から言えば、「これが“昭和”!」なのです。
 得津武史先生の理念は、何ごとにおいても精一杯に行うことで、自分の中に住まう、「達成感、満足感、充実感」を人生の糧として何事にもファイトを燃やすのが生き様でした。この頃の日本人は、太平洋戦争の敗北も重なって、精神的にとても惨めな敗北感を味わったこともあり、「根性で生き、初志貫徹!」することが美徳という教育が小学校、中学校を問わず全国的な風潮でした。
 懐古(かいこ)主義ととられるかも知れませんが、そのような時代、そのような教育、そのような生き方が、私(達)が生きた時代のエネルギーでした。
 その頃は、戦争に負けたのですが、(昭和後半の)文明華やかな時代、テレビ最盛期、自由な言動、人間関係の疎遠など、良いことも悪いことも一緒くたに、まるで大津波が一気にそれまでの文明や文化を飲み込むように我が師・得津武史先生や宇宿允人先生の時代は大きな波に飲み込まれるように変化していったのです。

 

★★日本人の真心を教えられた最後の世代★★

 私たち人間は、「自分が考えたこと、自分の生きざまが最も正しく、最も素晴らしい!」という感覚を持って生きています。そしてそれらがベースになって、物事の良し悪しを測っているのです。「あの頃は良かった!」と、懐古(かいこ)的に考えるようになれば、“年がいった証(あかし)”と言わんばかりのレッテルを貼る論文まで脳科学の分野ですら出る始末です。
 さて、宇宿先生は昭和11年生まれです。師匠は皇族に近い近衛(このえ)家の近衛秀麿(ひでまろ)先生(首相まで勤められた近衛文麿(ふみまろ)さんの実弟)。その当時の国民は、西洋音楽(管弦楽団が演奏する音楽は)=敵性音楽と決めてかかり大いなるバッシングを周囲から受けたことを近衛先生から聞かされた話をして下さいました。その当時は、エアコンという快適な装置は未だありませんので、練習をするときは練習会場の窓を真夏でも閉め切って合奏をしたそうです。「それでも熱中症などでぶっ倒れる者はいなかった。私は、人間はやっぱり気合いで生きる者だと思う」が我が師の口癖でした。
 ですから、学校の運動部や、また軍隊では練習や演習時、
 「喉の渇きなどはそれに耐えることこそ、根性育成の要だ」
として現在のように「こまめに水分補給!」という考えは、「軟弱である!」の一言で辛抱させられました。(私の子供の頃も、その風潮は残っておりました)。近衛先生の言の続きです。あまりの蒸し暑さの練習会場もやはり限界があります。もう限界だ!と指揮者が感じたら、マネージャーの「窓開け!」の一声で、練習場の窓が開けられ、外気の涼風が窓から入ってくると、近衛先生は「さぁ、行くぞ!」と元気よく指揮棒を振り下ろすと、楽員達も心得たもので、その時は、高らかに「軍艦行進曲」を奏でたと語っておられました。
 すると、いままで「敵性音楽だ」と目の敵にしていた街行く民衆も、警護のために自転車で巡回していた警察官も、大声で「守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の……」と元気な歌声で歌っていたとユーモアたっぷりに懐かしんでおられたと伺いました。
 そんな時代からはや80年近い歳月が矢のように流れ、私に“根性”を訓練(染み込ませるように諭すこと)して下さった先生方も、今は草葉の陰の存在です。最近、根を詰めて仕事の合間に、これら(私が感じるところ)人間らしく生きてこられた先生方が、よく私に話しかけてこられる(もちろん夢・幻)感じがします。(もしかしたら、私を呼びに来られているのか?と感じることもありますが)、「梅忠、ワシ等の時代の精神を大事にしてくれよ」と檄を飛ばされる感が良くあります。
 私はそのように感動的に生きてこられた先生方に直接、真心を伝えられた最後の世代だという自負を大切に、これからも次世代にシッカリとその意志を伝えてゆくことが、これからのMission(使命)だと肝に銘じて、残された最後の時間をシッカリと生きて行こうと思います。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/