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今週の喝 第946号(2023.07.10~07.16)〜天才は、天才なりの苦労がやってくる〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
  成功への道しるべ!この世は全て催眠687


天才は、天才なりの苦労がやってくる
                                        
 私は、我が師・宇宿允人先生の才能(天才性)を直に目の当たりにしてきた希有な関係を天より頂戴した数少ない人間だと自負しております。つまり、才能が溢れ出るが故の苦しみや憂いを見てきた訳です。その上、それらの苦からどういう考え方で、何をどう対処すれば問題解決が出来るのか。そして、一つの艱難が過ぎ去れば、また次の難題がやってくる……その終わりなきカルマ(業)ともいえる厄災を乗り切る精神力も肌で感じる距離で体感することが出来ました。
 音楽の世界はそのジャンル(クラシック、ポピュラー、歌謡曲など)の多さもさることながら、そこに存在する音楽そのものの美しさや音楽解釈の深さに至るまで、それは奥深い世界です。しかも、演奏する側も聞く側も「我も我も」という“承認欲求”が顔を出し恐ろしいほどの“我意識”で素晴らしいチャンスを反故にしてしまった人達を大勢見てきました。
 宇宿先生を私が「天才」と感ずるのは、見事に独自の解釈(想像性)を湧かせ、その意図を見事な表現(喩え)でオーケストラのみんなに伝えていったことです。その中でも最も苦労されたのが、日本語で育ってきた人間と英語やドイツ語を基本とした西洋の言語で躾けられた人間の感性(リズム感)の違いです。もちろん、クラシック系の音楽は西洋のリズム感やイントネーションが基本です。しかし、生まれて生活してきた所が日本国ですから、我々には、その違いから認識しなければ成りません。その上、そのような国情とも言える根本的な差異に気付いてしまった宇宿先生は、言い換えれば「不幸」ともいえる状況の中に自ら身を置くことから始めなければならなかったのです。
 それはオーケストラで活躍しようというような人間は、そのほとんどが音楽大学出身者です。その上ヴァイオリンやピアノという楽器と出会った人は、大体3歳くらいからその才能を見いだされ「蝶よ!花よ!」と褒められた中で音楽の才能を育んできました。言い方は悪いですが、その才能を見いだして貰った師匠の影響が骨の髄まで染み込み、こびり付いている状態なのです。オマケに世間的な地位や名誉、また同じ感性の中でせめぎ合って認められたのですから「有頂天」になるのも無理はありません。そんな人達の集団がオーケストラなのです。

 

★★知識は固定観念誘発の元★★

 困った事に、人間は一度教わったことが正しいと思ってしまうと、それをチェンジするのは本当に難しい生き物です。まして、それまで手取り足取り教えてくれてきた先生には「尊敬・憧憬」という感情も加味され、中々己の感性や感覚を見直すのは難しいのです。しかし、専門的に何も学んでない人から見れば、とても素直な感覚で音楽を捉えますので、その音楽の良し悪しはすぐに判断がつきます。こんな感覚や感性が「固定観念」を育み、やがて専門に勉強した者同士で“派閥”に発展させてしまいます。
 その証拠に、宇宿先生が東京に帰られてコンサート活動を始められた当初は、二千人の会場に入場者数がわずか三百名という事もあったと伺いました。しかし、信念の下に、正しい感覚と感性を我々日本人に目覚めさせるべく「宇宿允人の世界」を表現し続けた結果、(コンサート五日前に逝去されたため実現しませんでしたが)最後のコンサートの(プログラムは、ショスタコーヴィッチ:交響曲第五番“革命”)チケットはわずか三日で完売するほどの人気を誇るようになりました。
 オーケストラほどの集団になると“指揮者”、会社ならば“社長”、音楽感性は教える“師匠”とボスの力量や感覚で全てが変わって行く事を目の当たりにした我が青年期に感謝です。ただ、単純に音符(おんぷ)面(づら)を合わすだけの演奏は、只、利潤だけがGetできれば良いという会社と同じで、単純に「儲け」だけの歓びしかありません。それでも、我々の仲間は嬉々(きき)として音楽に取り組んだのは、そこに“達成感・充実感・満足感”という人間本来の歓びを得たときの「ワクワク感」そのもののエネルギーだと私は思います。
 このように紙面では徹底して伝えられないもどかしさはありますが、宇宿先生は理解の足らない面々に本当に素晴らしい事例を示して違いを説いてゆかれました。ほんの一例ですが、フレーズ(音楽にはメロディー毎に切れ目があり、その切れ目は、英語などの外国語と日本語では大きな違いがある)の取り方一つを見ても、例えば「いろは唄」を例にとって、
 「君たちのフレーズは、“いろはにほへと、ちりぬるをわか、よたれそつね、ならむういのおく”という風にとるから、意味が伝わらないんだよ」「あの唄は、“色(いろ)は匂(にほ)へど散(ち)りぬるを、我(わ)が世(よ)誰(だれ)ぞ常(つね)ならむ、有為(うい)の奥山(おくやま)今日(けふ)越(こ)えて……”と感じなければ、全く意味が通じないんだ!」
と教えて下さいました。誠に正論だと私は感じました。 

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/