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今週の喝 第945号(2023.07.03~07.09)〜人生は、絶妙のタイミングで「糾える縄」を与える〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
  成功への道しるべ!この世は全て催眠686

人生は、絶妙のタイミングで「糾える縄」を与える
                                        
 我が師・宇宿允人先生が、大阪での鬱陶しい所行から、なにクソ!と気概を見せて、東京に帰られ、そこでも秋葉原のIT関連の若き社長の口車に乗って(詐欺に掛かったような状態になったとはいえ)、今思い返してみると、この事件があったからこそ、150回を超える「宇宿允人の世界」が開催され、東京に多くのファンが出来たことも事実です。
 「歴史にifはない」「タラは北海道」などといいますが、あの時、若き社長の後押し(騙(だま)し)がなければ、私に招聘が掛かった「宇宿允人の世界」という歴史に残るような連続コンサートは開かれなかったでしょう。まさに「人生は糾(あざな)える縄の如し!」何が起因になって人生の展開があるか分かりません。あの当時の先生の落胆ぶりは、(私は直に見ておりませんが)ご家族の言から想像するに、「この世は闇!」を一身に背負って一日中庭の松の剪定に精魂を込めておられたと聞きました。
 この事象をちょっと無責任に分析すると、自分という存在を司る「精神や心」も大宇宙の法則通り、“バランスとタイミング”に従って、まるで海中の海藻のように“ゆらぎ”をもってショックを躱(かわ)し、シッカリと縁を繋いで、次の世界を構築していることが分かります。
 私と宇宿先生の関係を見ても、幾度、破壊的危機が訪れたことでしょう。しかし、その当時のことを振り返ると、「もうダメだ!」と当初は思うのですが、日にち(時間)の経過と共に(生意気な表現ですが)相手が恋しくなり、そこに絶妙のタイミングがやって来て「関係修復」が成されるのです。これこそ、“天の示唆”だと感じて、私はその指令に従うことに決めたのもこの時期でした。
 私の音楽人生を振り返っても、「何故フルートを吹くようになったのか」だけでも、振り返ると“奇蹟”と思われる出逢い(タイミング)がありました。

 

★★苦集滅道を体得せよ!★★

 冷静に今、人生を振り返ると、私も師匠も「自分が渾身の力で振り絞った弓矢を放った途端、その矢が自分をめがけて飛んできた」ような事象の連続でした。そして、そんな中から(そこそこ)自分達の意に添った人生を選べたのは、シッカリとした目標とそれを求める為の(目的)が目標をフォローし、意地にも似た自分の“不屈の精神”が、私たちの思う方向に心身を誘うことが分かりました。それでも、実際に心に厄災がのしかかってきたときにはメゲそうになりますが、それを乗り越えたとき、「頑張って良かった!」という“達成感”“充実感”が自分自身の“満足感”を喚起し、快感をもたらすことを体感してゆきました。
 宇宿先生と時たま二人でお酒を頂戴することがありましたが、その時はこのような昔話に花が咲き、楽しい談笑のひとときを過ごすことが出来ました。そんな時、先生は自分に言い聞かせるように、我が父の口癖であった徳川家康遺訓「人生は、重き荷を背負うて、遠き道を行くが如し、急ぐべからず!云々」を、私に諭すように言っておられましたが、それはご自分に対しての自重であったと私はその当時、感じました。
 今では笑ってその当時のことを振り返ることができます。しかし、自分の人生に於いて皆さんも幾度か体験されたことと思いますが、自分の理想通りに事象が運ばないときのあの砂を噛むような味気ない残酷な感覚は、それを乗り越えたときの快感、そして同時に起こる“リベンジ心”ともいえる未来への挑戦の意欲を誘発させるのです。そんな師匠のエネルギーを喚起する不撓不屈(ふとうふくつ)の精神が、次のコンサートへのファイトへ変わる瞬間こそ“醍醐味”でした。
 このような数々の体験から、人には“苦”が必要であると認識するようになりました。苦しみこそ、我々人間の原動力になり、そこから創意工夫が産み出されます。釈迦が般若心経の中で「苦集滅道」を説いた謂われが少しだけ分かったように感じた瞬間でした。
 「苦しみ」は何もせずそのままにしておくと、益々多くの「苦」を宇宙の摂理(一事が万事)でもある類項作用によって、苦を「集めて」くる。そして、その中から、「これはたまらん!」とばかり、対処対策を模索し始めた者に限り、それを「滅ぼす」為のアイデア(創意工夫)が生まれてくる。そして、その方法を自分の中で、生理整合させた人間にだけ、人間の人生を正しく歩むための「道」を見つける。この四つを感じ取った人間が、苦を乗り越える……これこそ、釈迦が我々凡夫に伝えたかった“苦集滅道”の根本情理だと、私は解釈しております。
 まさに、我が師・宇宿先生は音楽のみならず、自分自身の「苦の踏襲」をも私に教授下さったと思い出す度に感謝の念でいっぱいです。先生の生きざまを近くで拝見できたこと自体が、私と先生の“縁”であり私自身が持つ“運”の良さですので、これをもたらしてくれた天に対しては“恩”を感ぜずにはいられません。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/