M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第943号(2023.06.19~06.25)〜まず自分が深く感動しなければ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
  成功への道しるべ!この世は全て催眠684

まず自分が深く感動しなければ!

                                        
  「宇宿允人の世界」と名付けたコンサートを東京秋葉原の某コンピュータ会社社長に勧められ、1982年10月21日に新宿文化センターで開催した我が師・宇宿允人先生は、ホールもほぼ埋まるまずまずの成功でスタートしました。
 ところが、第1回のコンサートが終わったら、この社長は黒字倒産とやらで他社と合併してしまったのです。当然、応援はしてもらえなくなりました。大阪を失意の内に引き払って、「もう音楽(指揮)はやるまい」と固い決心で東京に帰ってきただけに、この詐欺のような所行は先生の心を打ちのめしました。
 しかし、一度始めたからには何があっても続けるしかありません。その時、先生の脳裏には徳川家康の言葉が甦ったと言います。
 「人生は重き荷を背負うて、遠き路を行くが如し。急ぐべからず!」
落胆の中にも、次のステップへ歩を進めるド根性!その日から、次のコンサートのチケットを奥様と共に一枚一枚売りさばく日々が始まりました。その地道な努力と、素晴らしい感動を与える演奏のお蔭で、応援して下さる方々も次第に増え150回に垂(なんな)んとするコンサートを続ける事ができたのです。
 先生の心の奥底には、常に「ただひたすら、音楽を奏でたい」という思い一つでその意志は繋がりました。しかし、問題は山積みしています。運営資金のこと、メンバーのことなど、現実に対処していかなければならない問題は気が遠くなるほど多くありました。よく話されていたのは、
 「ベートーヴェンのスコア(総譜)をじっと見つめているとベートーヴェンがこのように演奏して欲しいと訴える声が聞こえてくるようで、“あぁ、オレはやっぱりやらなきゃダメだ。こんな素晴らしい作品があるのだ。この作品を蘇らせるためには、先ず自分が深く感動しなければ……」

 

★★五反田の郵便貯金会館は悪魔の会場★★

 先生がこのように東京に帰られて悪戦苦闘されているとき、私は先生の下にいませんでした。以前も書きましたが、先生のオーケストラ運営に少し口を挟んでいたため、しばしの間袂を分かつことになっていたのです。
 そんな時、私自身も師匠の影響を受けた所為で、大ヒット曲を出したにも関わらず、賄賂(レコーディングディレクター達との飲み会など)をやらなければ仕事をもらえない世界に落胆していた時期でした。そんな暗澹たる心持ちの時期(桜の花が散った頃だったと記憶しています)の朝9時頃、私の家の固定電話に突然、
 「宇宿です。梅谷君か」と懐かしい声で電話が掛かってきました。
 「まだ、フルートは吹いているのか……?」と突然の質問に、私は
 「ハイ!いつ先生からお電話を頂いても良いようにスタンバイしておりました」と不意な電話でしたので、私も今から考えれば、少々良い格好の返事をしたように思います。
 「よし、分かった。ならば明後日東京に来るんだ。」
このような短いやり取りで、先生が次に予定されていたコンサートに出演することになりました。場所は東京五反田の郵便貯金会館で、プログラムはベートーヴェンの「レオノーレ序曲第三番」「交響曲第三番“英雄”」そして、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第二十番」でした。
 正直に申しますと、私は必ずこのような“お呼び”が掛かると信じ、また強く念じておりましたので、何の躊躇(ためら)いもなく、楽器と衣装をもって、お江戸への新幹線に乗って、イソイソと出かけて行きました。
 しかし、シッカリと練習はしていたのですが、私が持っている楽器の調子がかんばしくなかったので、コンサートの前に我が愛器のメーカーである新宿の村松フルート製作所製で楽器の調整をして貰うことにしてでかけました。
 久しぶりのクラシック音楽のコンサートですので、私は少々テンションが上がっていたようでした。それが後々、我が愛器に伝播するような事象が起きたのには驚きました。
 さて、新宿の村松フルートで楽器の精密の調整をして貰い、すこぶる調子よく音が出ることに満足して、その勢いでオケの練習場に入りました。そして、東京という新しい本拠地で一所懸命ご自分のステージを作ろうとされている先生ご自身の清廉さに感動しながら三日間のリハーサルが終わり、いざ本番当日のことです。私自身のテンションが上がっていたからだと思います。一番初めのレオノーレ第三番の序曲は序奏の部分で壮大なフルートのソロがありそしてアレグロに入って再び快活なテーマの部分になると、これまたフルートから第1テーマを奏でる、フルート大活躍の楽曲です。そこで、後々私のPTSDとなる出来事が起こりました。
 いざ序奏のソロの部分になると村松フルートで調整して貰った我が愛器が故障して、正確に演奏してもおかしな音が鳴ってしまい、もっと正確に表現するとコンサートをブチ壊してしまうほどのポカをやったのです。師匠が期待を込めて招聘してくれたそのコンサートが台無しになる。コンサート終了後、指揮者室にお詫びに行ったら、
 「君もナーバスになるんだな。何ごとも気にし過ぎると、こういうことが起きるんだよ」
と、大変なことをしでかしたにも関わらず、さも何もなかったように許して下さったときには、いままで色々と先生にあからった事が走馬灯のように反省しきり、脳裏に浮かびました。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/