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今週の喝 第941号(2023.06.05~06.11)〜ヴィエール室内合奏団でも再び大阪文化祭賞受賞!〜

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ヴィエール室内合奏団でも再び大阪文化祭賞受賞!
                                        
  宇宿先生は、一方的に「予算がない」の一点張りで馘首(クビ)を通達されたことを、大阪フィルハーモニー管弦楽団の当時コンサートマスターを勤めていた安田さんに話しました。
「安田さん、もう来年の三月でお別れです。大阪フィルに来て1年でクビですわ」
 「宇宿さん、そんなバカなことがあるか……。ワシ、今度の夏休みにドイツにヴァイオリンを買いに行くから、オッサン(朝比奈隆先生の事を楽団員はこのように呼んでいました)に会って話すよ。文化祭賞を貰ったばかりの指揮者を契約打ち切りだなどと失礼じゃないか。これからもっと、楽団で持ち上げなきゃいけない人を……。そんなバカなことがあるものか!」
その時、東ドイツを旅行中の朝比奈先生に安田さんは掛け合ってくれたのです。そのお陰で宇宿先生の契約は1年だけ延びました。それでも、2年目はダメでした。安田さんは、先生が大阪文化祭賞の対象になったベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で、コンサートマスターとして素晴らしいヴァイオリンのソロを弾いてくれた方です。
 こうして唯一の定職(大フィルの専任指揮者)を失った宇宿先生の下に、このコンサートを聴いていた西宮にある神戸女学院出身のヴァイオリニスト松永みどりさんが、音頭を取って弦楽器の仲間を集め、ヴィエール室内合奏団を創設することになり、先生が思ったより粘りのある面々に(最初は続くわけがないと思っていましたが)先生もだんだんやる気になってタクトをとったのです。
 ヴィエールとは、古代ヴァイオリンの呼び名です。命名者は台湾国籍の黄(ホワン)英美(イーメイ)さん(お父上は接着剤の大家)。ヴィエールがやがてヴィオールと名を変え、やがてヴァイオリンとなってゆくのです。さてさて、この楽団(たった13名)でも再び、大阪文化祭賞を受賞しました。その為に先生は厳しく鍛え抜きました。大阪の音楽関係者の間では、多くの人が宇宿允人という指揮者(マエストロ)の存在に一目置くようになりました。

 

★★N響を追い越すようなオーケストラを作る!★★

 宇宿允人先生は、常々大フィルのメンバーにも「N響を追い越すようなオーケストラを作る」と言っていたのですが、その事も結果的に朝比奈先生の機嫌を損ねる一因になったようです。
 「宇宿は芸大出でN響だ。それで我々大阪は二線級だと!それに励ましかおべんちゃらか知らんが、N響に匹敵するとか、N響を追い越すとか、格好つけやがって、なんだ」
と言う声が聞こえてきたと後に教えてくれました。
 こんな折りも宇宿先生は自分のセオリーを曲げることなく、黙々とヴィエールの育成に精を出しておられました。
 そして、先生39歳の夏、(私が18歳)運命の出逢いが訪れます。そうです、以前にも書きましたように、宇宿先生が兵庫県吹奏楽コンクールの審査員に招かれ、我が今津中学に県大会にも関わらず4位の成績を点けた(関西大会には上位3校しか出られない)のです。それからの経緯(いきさつ)は、アーカイブスをご覧下さい。

 最近まで私と師匠の出会いは、私の側からだけのものでしたが、宇宿先生にも至極困難な大いなる事情や都合、そして事象が重なって大袈裟かも知れませんが、“運命的な”出会いに繋がったのです。
 宇宿先生は、結局10年間大阪を舞台に活躍されました。もう少し、詳しく私との出会いを述べますと、(これは後に分かったことですが)私が母校今中の教室でフルートを吹いていて、その音色に惹かれて(?)教室に入ってこられた頃の先生の心の状況は、それは大変な窮地の中におられたようです。
 その時、先生はヴィエールの次のコンサートにバッハ作曲「ブランデンブルグ協奏曲第五番」を用意されていたのですが、ソリストとして契約していたフルーティスト佐々木真氏(現:日本フルートクラブ会長)が勝手な解釈で(宇宿先生に相談無しに)自分の解釈で演奏したために、我が今中のレッスン日の前日、大いに揉め、結局短気立腹がたたって、「出て行け!」となって袂(たもと)を分かったそうです。
 そんな諸事情の後で、私との邂逅(かいこう)があったのです。こうして、私はプロのフルーティストとして宇宿允人先生に抜擢されたのです。そして、あらゆるコンサートに出してもらい、高校三年生の時に、今津音頭の作詞者でもある、西村光照君に張った見得を果たすことができました。
 彼(西村君)は高三の時、受験勉強をそっちのけで笛ばかり吹いている私に、「悪いこと言わんから勉強せい!」と諭してくれた素晴らしい友人です。その時私は、「オレはプロの音楽家になるんや!」と何の確証もないのに大見得を張りました……この時、私は強く心にバックを素晴らしい楽団が演奏し、その前で堂々と演奏している自分をイメージしたことを思い出しました。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/