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今週の喝 第936号(2023.05.01~05.07)この世は全て催眠だ(676)〜宇宿先生の音楽大学は近衛管弦楽団〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(676
宇宿先生の音楽大学は近衛管弦楽団

 さて、我が師山口(宇宿)先生は、難関を突破して日本一の音楽大学である東京芸術大学に入学し、意気揚々としていたとき、海軍軍楽隊上がりで当時近衛管弦楽団のトロンボーン奏者である嶋昇(しまのぼる)さんのレッスンを受けることになりました。そして、オーケストラの練習に誘われ、日本の伝説の指揮者といわれる近衛秀麿先生に紹介されます。
 そして意気揚々と「東京芸大の一年生です」と自己紹介した途端、近衛先生はボソッと「東京芸大!?あの学校はダメですよ」
と、いとも簡単に切り捨てられたのです。その時、先生は言葉を失い、呆然としたといいます。その時の宇宿先生は、
 「僕は芸大生だ。芸大に入ればプロの音楽家としてやっていけるんだ」
という確固としたエリート意識で完全武装していましたが、そのような小さなプライドは一瞬にして砕け散ったそうです。そして、
 「なぜ、芸大がダメなのか?では何を目指せばいいのか?近衛先生について徹底して学んでゆこう!」
と、決意した瞬間でした。
 それからというもの、芸大にはほとんど通うことなく、近衛管弦楽団が先生の音楽大学となり、練習の場となったのです。宇宿先生は丁稚奉公に入ったつもりで、
 「何でもやらせてもらいます」
と、飛び込んだのです。近衛先生が「芸大はダメですよ」と言った意味を知りたい一心でした。
 その熱心さが伝わったのでしょう。メンバーの欠員がでたときなど、「エキストラで来なさい」と次第に声が掛かるようになってきました。その間、芸大の授業は全く受けることは無かったといいます。先生は意外にもジャズが好きで、芸大で毎年開催される芸術祭の時、仲の良かった山本直純さんと一緒に「ビバーチェ」というジャズバンドを作って楽しんだといいます。直純さんも宇宿先生同様に授業には全く顔を出さない不良学生でした。

 

★★「僕は指揮者になりたい!」★★
 二人が4回生の時、先生と直純さんは一緒に試験を受けたことがありました。その時の試験問題が大書して前の黒板に書いてありました。
 「一年間の授業の概略を書け!」
思わず二人は顔を見合わせ、暫し唖然。二人とも一回も授業に出なかったのですから、書けるわけがありません。観念した二人は揃って白紙で提出し、教室を出た途端、二人は大声を上げて笑う以外なかったと懐かしそうにその話をするときには笑顔で思い出されておられました。もちろん、二人ともその単位は落としましたが。こんな感じの学生ですから、トロンボーンの授業も受けたことがなかったそうです。しかしトロンボーンの単位を落とすと卒業できません。一計を案じた先生は、トロンボーンの教授ジョニーウォーカーの黒(通称:ジョニ黒)を賄(まいない)として渡したそうです。こちらは見事に及第点を貰ったそうです。

 さて私は、宇宿先生が存命中にトロンボーン奏者がなぜ指揮者になろうとしたのかを尋ねたとこがありました。それは、先生が盲腸になったことが切っ掛けだったそうです。当時の先生は、学生だったにも関わらず、芸大在学中、近衛管弦楽団のみならず、他のポロオーケストラにもエキストラで出演していました。あるオーケストラの北海道への演奏旅行に行ったとき、急に腹痛を覚え、自分でも「これは盲腸だ!」と言う直感が働き東京に帰るとすぐに赤坂の山王病院で手術を受けました。術後は演奏活動を休まなければなりません。そんなある日、まだ体調が万全ではなかったのですが日比谷公会堂に足を運んで、東京交響楽団の演奏を聴きに行かれました。
 面白い話ですが、オーケストラの団員ほど音楽会に足を運ばない人種はいません。その時のコンサートは、芸大の仲間がエキストラで出演していることもあり、また普段は聴衆側からオーケストラを聴くこともほとんどないので、良い機会だと思ったのです。プログラムはチャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」をメインにしたものでした。
 ふだんであれば、自然とトロンボーン奏者に目と耳が行き、色々批評めいた心が騒ぐのですが、その日はオーケストラ全体に意識が及んで、特に指揮者とオーケストラの関係性のことが気になって仕方が無かったといいます。
 「トロンボーンがいくら上手でも第1ヴァイオリンが如何によく演奏したとしても、テンポに問題があったり、全体のバランスが崩れてしまっては台無しだ!……指揮者の責任は重大だ」
こんな思いが日に日に募っていったある日、我が師宇宿(当時は山口)先生は、師匠である近衛秀麿先生に思い切ってこの気持ちをぶつけていきました。
 山口「先生、僕は指揮者になりたいです」
すると、近衛先生はやや冷ややかな眼差しで次のように言いました。
 近衛「うふふふ、地下足袋をはいて土方(どかた)(建築土木の日雇い労働者)に    なりなさい。そうすれば土方(どかた)が使える」

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/