M&Uスクール

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今週の喝 第933号(2023.04.10~04.16)

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
成功への道しるべ!この世は全て催眠だ673

 

我が師・宇宿允人先生とは、どういう人物なのか!?
                                        
  さてさて、この辺りで、私、梅谷忠洋を音楽家としてこの世に送り出して下さった、我が師・宇宿允人先生の人物像について皆さまにお知らせ致しましょう。
 先般もこの紙面に書きましたが、我が母、洋子と同い年、昭和9年生まれで、生きておられたら今年88歳です。(東日本大震災の年“2011”に逝去されました)先生と私が出逢って、今年で60年の節目です。
 宇宿允人先生の人物像を一言で言うと、音楽界に於いて百年に一度現れるかどうかという“天才”と言っても過言ではない才能の持ち主です。オーバーに聞こえる方もおられるかも知れませんが、実際にその下で演奏してきた私は、その天才ぶりにしょっちゅう巡りあいました。
 先ず、その指揮法です。学校で習うような4拍子や3拍子のタクトを振って下さったことは全くありません。また、曲のスタート前に「さん(3)、し(4)」といったような、カウントの指揮をされたことも記憶にありません。この辺りは、コンサートを収録したDVDをご覧下されば一目瞭然なのですが、ここではそのような形ではなく、師匠の精神性やそこから紡ぎ出された感動の心が、どのように醸し出されるのかを伝えて行きたいと思います。
 先ずは、師匠の幼年期からお伝えして行きましょう。どうすれば、あの様な見事な感覚や感性が身につくのか……私は弟子としてお仕えしている間中考え続けました。まさに邂逅(かいこう)(人生を変えるような出逢い)が起きて、私の進路が大きくカーブできたのも先生との邂逅なくして語れません。
 先生との出逢いについては、以前にこの紙面で書きましたのでアーカイブをご覧下さい。あらましを書きますと、我が母校である今津中学校吹奏楽部を県大会コンクールで4位の成績を点けたことから始まります。関西大会には3校しか出場できないにもかかわらず!つまり、「次のステップに行く価値はない!」と言うことだったのです。

 

★★「そうだ、仏門に入ろう!」★★

 この成績に頭に来た顧問・得津武史先生
「わいらを県大会で4位の成績を点けた生意気な審査員が居る。こんど学校に呼んでくるから、みんなでボコボコにやってもたろ!」
このような出逢いでした。
 そして、宇宿先生の一拍目のタクトが振り下ろされるやいなや、得津武史先生もシャッポを脱ぎ、以後、教えを乞うことになったのです。

 宇宿允人という名は宇宿加世子さんと結婚して(加世子さんのお父上は、大手ゼネコン錢高組の専務)、養子に入り、改名されてからのお名前で、元の名は「山口ヒロシ(すみません、名前の漢字が分かりません)」。昭和9年、京都の西陣生まれ、大徳寺の近く「寺の内」という町に生まれ、遊び場は境内で悪戯っ子だったそうです。そして、お父さんは信心深い方で、表具師としては人間国宝級の方だったと聞いております。そして、七のつく日には父と共に比叡山延暦寺にお参りをしていました。十人兄弟でしたが、どういうわけか、父は先生だけを連れてお山(比叡山)に行ったそうです。
 寺の境内を遊び場とし、悪戯もしていた先生ですが、その時の話をされるときには、決まって
「黙々と修行をする僧侶の姿には、幼心(おさなごころ)ながら、何か心打たれるものを感じた」
と遠くを見つめながらおっしゃっていたのが、今も印象に残っています。
 そのような環境に囲まれて育ったことが影響したのでしょう。15,6歳の頃……いわゆる思春期を迎えて、同級生の女の子のことが気になりだし、色々な欲が自分の中に渦巻くようになって行く中で、先生は悩みました。
「人間はなぜ欲望というものが起こるのか、また、諸々の雑念に振り回されるのか……」と。
 その答えを見つけようと釈迦、キリスト、日蓮、親鸞など宗教家の書を読み漁(あさ)ったそうです。その結果、宗教家の答えは皆、一致していました。人間の欲望を克服するためには宗教の道を歩むしかない!そう結論を出した我が師匠は幼い頃に父に手を引かれて連れてゆかれた比叡山に、自分の意思で登ろう、つまり出家しようと決意したのです。
 しかし、同時に「ちょっと待て!」という声も聞こえてきたと言います。
「仏門に入って修行することで、信仰の力によって自らの欲望は克服できるかも知れない。しかし、本当にそれで良いのか?」
と、自己葛藤と共に違和感も覚えたそうです。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/