M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第928号(2023.03.06~03.12)この世は全て催眠だ(668)〜罰則は窓ガラス拭き!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(668
罰則は窓ガラス拭き!

 「先週も書きましたが、新一年生から(当初男性ばかり)50名もの部員を勧誘するのは並大抵のことではありませんでした。私も体験しましたが4月7日頃に入学式があります。そして、その日から、自分のパートの部員を確保しなくてはなりません。ここには厳しい罰則があり、その日に新入部員を勧誘できなければ、音楽室(3F)の窓拭きを自分のパートに確保するまで続けさせられました。
 以前にも申しましたが、私は家が畳屋でしたので、電話が掛かってきます。その電話を受けることからして、アカンタレ忠洋は億劫でした。それを父・郁郎(いくお)は無理矢理、
「商売人の息子が電話にでれなくてどうする。早く出ろ!」
と電話を受けさせたのです。その所為(にしますが)で、私は未だに“電話恐怖症”(気味)です。こちらから掛けるのは、どうもないのですが、掛かってきた電話を取るのは、どうも今も苦手です。その理由は、相手が誰か分からない(今はスマホの時代ですから、大丈夫ですが)のに話をするなど“恐怖”の一言でした。
 こんな私が、まぁ一人前?に人と対峙できるようになったのは、この「新入部員勧誘」の成果だと思います。
 廊下を歩いていて、制帽が新しく、襟章が1であれば一年生ですから、「なぁ君、ブラバンに入らへんか」と勧誘するのです。大抵素直に入ってくれる一年はいませんが、私のように入学式の歓迎演奏(選抜高校野球入場式のテーマ「こんにちは赤ちゃん)に超絶な感動をおぼえて入部したいと心の奥底で震動を感じていた人間は別として、大概の人間は当時のブラバンの評判(ヘルメット付きで入部せよ、鬼の得津)などの風評被害も手伝って、中々「ウン!」とは言いません。私の場合は、これに輪を掛けたように……「父からの恫喝」も手伝って二の足を踏んでおりました。
 そんな時トボトボと教室前の廊下を歩いていると件の得津先生が右手に竹刀、頭には鉢巻き、顔にはサングラス、そこにまだ春先というのに短パンにランニングシャツ、口にはくわえタバコという出で立ちで、廊下の向こうからやってくるのです。

 

★★「ハ(歯)ァ見してみい!」★★
 私は「やばい!」と直感して、目をそらせて行き過ぎようとしたのですが、即座に発見され「お前1年か?ブラバンに入れ!」と声を掛けられました。思わず私の発した言葉は「嫌です!」。その時、初めて右手の竹刀が目に入り、「あれが頭に飛んでくるのか?」と、その痛さを想像しました。その時は何もなく先生は遠ざかりざまに「ブラバンは楽しいど!ブラバンに入ったら音楽の成績は“5”やるよってな」と言いながら遠離って行きました。
 その時入学式の吹奏楽のサウンド、そして小学校の時の音楽の成績(生まれて初めて“2”というヒドい成績)などが脳裏を去来し、無性に入部したくなりました。この時に、巷での“怖さ”“厳しさ”の風評は無くなり、先輩達の演奏だけが脳裏をかすめておりました。
 そして次の日(4月8日)同じように廊下を歩いていると、優しそうな顔つきの三年生の廿日出信雄(はつかでのぶお)さんから、
「あんた、1年やろ。ブラバンに入って、ボクと一緒に日本一に成らへんか?」と声を掛けられた時には、
「ハイ!宜しくお願いします」
と言っておりました。
 そして音楽室に連れて行かれ、得津先生に入部する旨を伝えたところ、「おまえ、昨日は嫌や!と言うとったやないか。(得津先生は私のことを覚えていてくれたのです)ところで、お前は何が吹きたいんや?」
突然の質問に、私の当時のボキャブラリーでは、知っている楽器は、「喇叭(ラッパ)と太鼓(たいこ)」しかありませんでしたので、咄嗟に“ラッパ”を答えるや、「ハァ(歯)見してみい!」と言われたので、「イーッ!」と歯を見せました。その途端、
「アカン!フルートじゃ」の一言!
この瞬間に私の一生(フルーティストとして生きる)が決まったと言っても過言ではありません。今振り返っても、廿日出さんは柔和な顔つきで、とっても優しそうに見えました。このようにして、私は廿日出先輩にフルートを習うことになったのです。
 家に帰って、ブラバンに入ったことを父親に伝えると、まず降りかかってきた言葉が、「成績が下がったら、ブラバン辞めさす。分かったな!」でした。今考えれば、私に与えられた楽器がフルートであったことが、色々な意味で本当に良かったように思います。また、アカンタレ忠洋が高圧的な物言いを常にする父親に「負けるものか!」とファイトで対抗でき、自分の性質まで変えて行く切っ掛けになったのも父があってのことでした。
 さて、一学期も終わり、通知表が配られてきてビックリしたのは、得津先生が約束してくれたとおり、通知表の音楽の成績が“5”であったことでした。この事が後年、とっても大きな禍の種になるのですが……。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/