M&Uスクール

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今週の喝 第929号(2023.03.13~03.19)この世は全て催眠だ(669)〜新入部員の半分は脱落者!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(669

新入部員の半分は脱落者!

  先週、私がフルートパートに配属されたのは、得津武史先生が私の歯を見て、
「お前の歯ではトランペットは無理じゃ。フルートじゃ!」
と言われたことに質問を頂戴しました。
「なぜ歯を見ただけで、フルートと決まったのか?映画“マエストロ”でフルートのmiwaちゃんがタクアンを食べているその音を聞いただけで、マエストロ(西田敏行)が、あのフルートは使えると判断するシーンがありましたが、それと関係があるのですか」
と質問が参りました。あの映画“マエストロ”宇宿允人先生がモデルで、フルートのmiwaちゃんは私が遠からずモデルになっています。
 一般の方が想像すると、フルートは「フーッ」と吹くように感じるでしょうが、ちょっと専門的なことを文字にするのはとても難しいのですが、本当にフルートを響かして演奏するには、「フーッ」ではなく、喉を開いて「ホーッ」の方が良いと私は中学三年生の時に発見しました。従って、私がレッスンした生徒達は、皆「ホーッ」いう息づかいでフルートを吹きます。これを脚本家は「タクアン」に置き換えて表現したのでしょう。

 さて、先週書きましたが、新一年生から(当初男性ばかり)50名もの部員を勧誘するのは並大抵のことではありません。私も体験しましたが4月7日頃に入学式があります。そして、その日から、自分のパートの部員を確保しなくてはなりません。ここには厳しい罰則があり、その日に新入部員を勧誘できなければ、音楽室(3F)の窓拭きを自分のパートに確保するまで続けさせられました。4月7日は、部員(2年生、3年生)のほぼ全員が窓拭きをしておりますが、日が経つにつれて一人減り二人減りと、だんだん人数が減ってゆきます。4月も終わり頃になると、2~3人で寂しく三階にある音楽室の窓拭きをしています。それはもう恥ずかしい姿です。そして2年生、3年生を合わせると約50人になります。毎年1年生の勧誘の人数を50名と先生が定めたのは、その中から脱落者が出て、最終的には半数になることを経験則で得津先生は知っていたのです
 
★★「ブラバンに入ると勉強する時間が無い!?」★★

 こんな性格の得津武史先生ですから、脱落してゆく新一年生も只で済ませるわけがありません。4月になると、我が音楽教室の入り口には、アウシュビッツ強制収容所の正門に「Arbeit macht frei!」(アルバイト・マハット・フライ=働けば自由になれる)宜しく、「根性なき者は去れ!」と横断幕に大書してありました。
 それだけではありません。吹奏楽部を退部するときは、月曜日の全校朝礼の時に、朝礼台の上で、校歌を独唱させられるのです。(もちろん、ブラバンの伴奏付きで)
 今時、このような精神的苦痛を与えたら、教育委員会から通達後、先生は即座に馘首(クビ)になることでしょうが、今津中学の子供達は、そんな事には動ぜず、朝礼台の歌を楽しんでおりました。まさに、得津武史先生の指導法は「信賞必罰……良いことをすれば褒められ、悪いことをすれば罰が与えられるのです。根本にこのような動向が我が今津中学校吹奏楽部を日本一に押し上げたのです。それと、得津武史先生の公私を分かたぬ生き様(=朝から晩まで生徒達に寄り添って練習に明け暮れておりました)。これを我が校では野球になぞらえて「アサター・ヒルター・ナイター」と称して、「名物」にしておりました。こんなところから、吹奏楽部以外の父兄からは
「ブラバンに入ると勉強する時間が無い。だから成績が落ちる!」
などと見ても居ないのに悪い風評を立てる父兄も居ました。
 ただ、夏休みに入ると、毎年演奏旅行があり、各地で優越感を味わえたのも、子供達が厳しい練習に耐え抜き、勇猛果敢に得津スパルタ教育に耐え抜いた原動力になっていったのです。そして、もっと凄いことは、3回のコンクール(県大会・関西大会・全国大会)に勝ち抜くにつれ、優越と自信が付いて、子供達は男らしく成長してゆきました。
 学校のクラブ活動で、指導する側が一番しんどいのは、全国大会で優勝したかと思うと、次の日からメンバーチェンジでまた一から子供達を育ててゆかなければならないことです。そんな状況にほんの少しの愚痴も言わず、黙々と指導してゆく先生の姿に完全に影響を受けたのです。
 つい先日、96歳で亡くなられましたが、先生の奥様・比紗子さんは、こんな先生を陰日なた関係なく、支えてこられたのは「女の鏡」と言っても良いでしょう。比紗子奥様はそのストレスを解消する手段として宝塚歌劇団の熱烈なファンで、お亡くなりになる数ヶ月前まで、宝塚大劇場に通っておられました。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/