M&Uスクール

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今週の喝 第926号(2023.02.20~02.26)この世は全て催眠だ(666)〜木口小平は死んでも口からラッパを放しませんでした。〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(666

木口小平は死んでも口からラッパを放しませんでした。
                                        
  鈴木竹男先生から得津武史先生にバトンタッチした時、私の親戚筋の松井圭司さんが吹奏楽部に入部しており(トロンボーン担当、母洋子より一歳年上)、よくその頃の話をしてくれました。
 「私たちは、紳士的な鈴木竹男先生に代わって指揮台に登ったのは、腹はビア樽、顔の頬(ほお)は酒焼け、喋る言葉は和歌山弁の人間というよりタヌキに近い、先生というよりガラの悪い“オッサン”としかいいようのない人やった。この人は本当に音楽の先生かいなという思いも手伝って、部員のみんなは先生とは呼ばず、オッサンと呼んで慣れ親しんでいった」
 得津先生は、今津中学校に赴任した途端、
 「ここの生徒達には、目標と目的がハッキリしていない!だから礼儀もない。よし、この子供等に夢と希望を与えて『やれば出来る』こと教え込もう」
と、まだ県大会でもまともな成績を出していないうちから、
 「ワシ等の目標は、日本一になる。それは、このガラの悪い今津という町を日本中に知らせるのが目的や」
 「その為には、楽器を手放したら総てが終わりになる」
 「よし、戦前の国民学校の教科書に載っていた日清戦争当時のラッパ卒(そつ)・木口小(こ)平(へい)の話を彼等に染み込ませよう」
と思い立ち、弱音を吐く子供達に、
 「木口小平は、敵の弾(たま)に当たりましたが、死んでも口からラッパを放しませんでした」
と繰り返し叫ばせたのです。木口ラッパ卒は、隊長の命令で兵士全員の士気鼓舞のため“突撃ラッパ”を吹くように命じられました。部隊はラッパと共に突撃し、敵陣営を占領しました。ところが戦闘後、木口の姿がない……不審に思った隊長は戦場を引き返し探したところ、ラッパを口に当てたまま彼は死んでいたのです。そして喉には銃弾が貫通した跡がありました。この事が戦前の国語の教科書に掲載されていたので、得津武史先生はこの根性と精神を子供達に叩き込んだのでした。
 「ええか、おまえらも一人一人が木口ラッパ卒やと思え。どんなことがあっても、ラッパを放すな!死んでもラッパにかじりついとれ、ええな!」


 
★★中学時代の一番の思い出は天ぷら棒の痛さ!★★

 

 このようにして、ラッパを持つ者の心構えを練習開始時に叩き込んだ後、練習に入るのですが、文字通りの“スパルタ教育”でした。得津武史先生の思考は、それこそ単純明快なものでした。自らの道「目標(形)+目的(心構え)」を日本一に照準を合わせ、その目的は、文化果つる地・今津を吹奏楽部のメッカといわれるように(汚名返上)し、何人(なんぴと)も努力すれば、
 「やれば出来る」……すなわち上杉鷹山の座右の銘
 「為せば成る為さねば成らぬ何事も、ならぬは人の為さぬなりけり」
を、世間に証明することでした。少々自虐的に申しますと、今津に住まう人達は、知名度というようなことに全く意識がなく、我が町を道(みち)すがら通り過ぎて行く人達(阪急と阪神の両鉄道会社の乗換駅)からは、
 「今津の住人に眼を合わせると、イチャモンを付けられ碌(ろく)な事はない」
と囁かれる町でした。そういう風潮の町であった故に、得津先生はよりファイトを燃やして、生徒達をビシバシ扱(しご)いてゆきました。
 そのセオリーは、“質を高めるには、量で勝負!”とばかり、他校が四時間練習していると聞くと、我が校は五時間というように、すこぶる単純な思考でありました。そして、もう一つは、人間の原初的感覚である“痛覚”に訴えることでした。(今なら、パワハラとして父兄に訴えられます)
 先生は、教師に成り立ての頃は、その安月給であるにもかかわらず、楽器店で売っていた“指揮棒”(当時でも一本一千円くらい)で生徒指導をしていましたが、その短気な性格故、一日に三本も四本も折ってしまいます。そこで、この指揮棒の代わりになるものはないか?と練習終了後に行く飲み屋で軽口を叩いていると、これ又偶然、カウンターの隣に座った御仁が、阪急市場で天ぷら屋を営む親父(おやじ)でした。その親父さんが、
 「それなら、天ぷらを揚げる時に使う“菜箸(さいばし)”がよろしいでっせ」
と教えてくれたそうです。(余計な事をしてくれたものです。その天ぷら棒で毎日毎日、頭を叩かれる生徒にとっては……)
 この菜箸は威力抜群!いくら子供等にテンポを示そうと指揮台の角を叩いても折れることはなく、ミスを犯したり、悪戯がバレたワルの頭を渾身の力で叩いても、ほとんど折れることはありませんでした。そしてこの天ぷら棒(菜箸)の痛いことといえば・・
 「中学校の思い出はと問われれば」
即座に天ぷら棒のことを思い出します。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/