M&Uスクール

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今週の喝 第487号(2014.8.18〜2014.8.24) この世は全て催眠だ(229)〜自分自身と和解せよ!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

この世は全て催眠だ(229
〜自分自身と和解せよ!

 人間関係について書いています。禅の公案「隻手音声」の問いかけることを、少しは分かって頂けたと思います。
 我々人間は、自分というものを“我”で全く見えなくしてしまっているのです。本当は相手によって自分が定められていると言っても過言ではありません。全てが相手との関係から始まることを心に認めて、我々は人生をしっかりと歩まなければなりません。
 そんな時に、自分自身に不本意なことも、また、妥協が必要なことも、仲直りが必要なこともあります。しかし、どうしても納得できない、仲直りしたいけれどメンツが潰れるようで踏み切れないなど、自分自身を納得させる手法を持つことはとても大切なことです。
 人間の苦しみは、実際に身体が感じる苦しみより、迷いや惑いといった心から来るものが大半ではないでしょうか。この自分の心を安定させ整合化するのに、この“妥協法”とでもいうべき「仲直りの方法」はとても重要な心の鎮静剤です。
 さて、その方法は、両手の掌を用いた「手のひら討論法」のバリエーションです。
 先ず、手のひらを広げ、右に賛成論、左に反対論を乗せるところまでは「討論法」と同じです。
 その次は、賛成論、反対論と言っても、すべてが全く異なるわけではありませんので、左右に共通する部分=肯定的な共通部分をピックアップします。そこで、声に出して
 「それぞれ、どこかに良いところがあるだろう」
と自分自身に言い聞かせてゆきます。案外、反対している方は、自分自身の心の中で単に「逆らっている」だけ、「反発している」だけのことが多くありますので、そんなときは、大きな声で
 「何、逆らってるんだ。何反対しているの?」
と自問自答の中で争ってみるのも一興です。
 
★★素晴らしい自分は、既に自分自身の中に存在する!★★
 すると、だんだん自分の沽券や意地で抵抗しているものが見えてきます。それを、「自観法」…自分(理性)で自分(感情)を冷静に観察する内に、必ず一致点が見つかります。反対していることも、ゲシュタルト的に裏側から見ると、同じ事である場合が良くあります。例えば、あることを「やめよう!」と思っているとします。しかし、それは逆の面から見ると「別のことを、やろう!」となりますね。
 このように、一致点が見つかったら、左右の手を合掌して胸の位置でしっかりと統合します。それが仲直りのイメージであるなら、握手したり、にこやかに話し合っているイメージを思い浮かべて統合するのも一つのアイデアです。
 
 人は、自分の心にあるわだかまりを自分自身で処理できずに苦しんでいる場合がほとんどです。聖人は、その解決方法をただ一言「汝の敵を愛せよ!」と言いました。しかし、この言葉を、真っ正面から受け止めようとしても、そんな自分の「当面の敵を愛で向かえることなど出来ない」と考えるのが順当でしょう。
 しかし、“汝の敵”が自分の中にある、我(が)や敵対心であったなら、汝の敵は自分の中にあるもう一人の自分であることになります。さすれば、自分が自分を嫌い、自分自身に戦いを仕掛けていると言うことになり、虚空を拳で打つというとても愚かな行動である事に気付くはずです。
 今まで述べてきた、理想の人物を登場させる方法、偉人会議を主催する、老賢人に道を訊く、人が見ていたとしたら……その時自分の行動は?、自観法、スクリーン投影法、手のひら討論法、そして、今回お伝えしている仲直り法etc.すべての技法が、じっくり振り返ると、自分との対話であることに気付くことでしょう。人間は問題のすべてが自分の中に解決法があると言って間違いありません。いや、そうであるからこそ…問題が自分の側にあるからこそ、問題解決ができるのです。
 
 世の賢人達は、このことを色々な言葉で私たちに伝えてくれています。
近代催眠の先駆者であるミルトン・エリクソンは、
「無意識のレベルで、自分の経験を探ってみなさい。あなたの問題に取り組むのに役立つ材料が出てくるはずだ」
と述べ、我々自身に冷静に自分の深層心理に到達する自己催眠(トランス状態)に入る訓練を奨励しています。そして、アレックス・オズボーンは、
「大切なことは、発見することではなく、我々がすでに知っていることを吸い上げることである」
と言い、また、アルフレッド・アドラーは、
「人は何を持っているかが問題なのではなく、持っているものをどう使うかが問題なのだ」
と喝破しています。
 彼らは、我々人間には既に解決策は自分自身に存在し、それが自分自身の中のもう一人の自分(我)によって、乱されている。よって、静かに明鏡止水の状態の自分自身を浮かび上がらせれば良い……つまり、掻き乱されなければ、既に素晴らしい自分が存在することを示唆しているのです。

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/