潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(655)
もっと静かな番組を……!
「NHK BKジョッキー“梅忠のサウンドボックス”」を担当させて貰って丸2年が経った頃、私のアシスタントをしていた女子アナウンサー堀内裕子さんが、
「母音箱にどのくらい入っているか開けてみない?」
と提案してきました。これはその十円玉の数が私の評価ですので、とても緊張しました。
その頃の私は、色々な事に居直っていたこともあり、また番組のモットーは「面白いこと・恥を恐れないこと」と高を括っていたので、金槌を持ってきて番組中に“ピンクのブタ”の恰好をした母音箱を叩き割りました。その中には50枚には満たない十円玉が出てきて、一週間に一度の番組ですから、単純計算で1年52週で二年ですので104回の番組で50枚足らずと言うことは、2回に1回母音箱に入れたことになります。この数が多いのか少ないのかは、皆さんに判断して頂くとして、一つ学んだことは、チャリンという母音箱にお金を入れる音がだんだん少なくなってきたことに嬉しさや歓びすらを感じながら“居直って”担当していましたので……。
一見悪いことのように思う“居直り”は、一種の安堵感を自分自身にもたらし(後にそれがリラックスだと気が付きます)、本当は「舌を噛んだり、母音発声」をやめるためにやり出した自主的罰金ですが、大いに楽しめた様に思います。
こんなフランクなDJですから、NHKの技術さんやアナウンサー、また考査室(放送に対するクレームを処理する部署)の方々も色んな知恵を貸してくれたり、また放送実験なんかもやりました。一番印象に残っているのは、専門的技術は上手く説明できませんが、「バイノーラル録音」したソースを聴取者の皆さんにヘッドホンを付けて聞いて貰うのです。私の番組はFM放送でしたので、ステレオで聞く事が出来た為、2本のマイク周りを移動するとその方向から声が聞こえてくるのです。
私はスタジオに置かれたマイクの周りをあっちこっちと移動しながら放送したのを覚えています。すると番組の途中で、考査室から副調整室に電話が入り、聴取者の方から
「頭が混乱するから、もっと静かな放送を」
と、クレームが来たそうです。
★★大阪放送局のコールサインは「ぜにもうけ!」★★
西村大輔アナウンサーが、私のスタジオにお越しになって皿回しタイム(レコードをかけて、その間はしばしの休憩)に、
「あなたは、放送局にはコールサインというものがあるのを知ってますか?東京放送局はJOAK、そして我が大阪放送局はJOBKです。このコールサインの意味は分かりますか?」
とほんの少しの時間でしたが私に話しかけられました。もちろん、東京が主局ですから“A”で、次席の大阪は“B”になるのですが、それでは面白くないというので西村大輔アナは、(今は向かいに移転しましたが)当時のNHK大阪放送局は、大阪城のド真ん前……住所は馬場町(ばばちょう)に正面玄関はとても立派な石造りで堂々と建っておりました。西村アナのいうには、
「JOBKのコールサインは、Japan Osaka Banbatyo Kado.の頭文字から来ているんです」。と真顔でいうのです。そして、ラジオを聞いて下さっている方の中には、
「“JOBK”(ジェーオービーケー)とアナウンサーがコールサインをマイクの前で呼びかけると、どう聞き間違えたのかジェーニーモーケー(銭儲け)と聞き間違えた。さすがは大阪ですね」
と笑い飛ばしてスタジオを出て行きました。
西村アナはなぜこんなことを私に伝えに来たのか?……そんな事を考える間もなく、次のコーナーでは、これをネタにお喋りをしている私が居りました。つまり、西村アナは自分のNHKの正規職員であるためこんな駄洒落を言えないけれど、梅谷ならこれを放送で上手く言ってくれるだろうという思惑を、私がすぐさま感じ取り(反応し)、相方の堀内裕子と笑いにしたのです。
さて、この堀内裕子アナウンサーですが、先般も書きましたが津田塾大学出身の秀才で、とにかく肌が透き通るように白く、ユーモアもよく分かり、とても仲良しになりました。そこで私は彼女にあだ名を付けました。
それは「ぬりえチャン」。子供達が色を付けて遊ぶ輪郭だけの絵です。
彼女は、東京に“池田さん”というボーイフレンドがいて、「朝出社してくる前にはラブコールをしてから」などとノロケ話に華が咲いたのが思い出の一つです。
結婚式にも招かれ、このカップルは順風満帆のように見えていたのですが、その後、NHKを退社し、ヨガや演劇の道に活路を求めて、その度に新たな人と恋仲になり、名字が(堀内→池田→桐生→?)と、ドンドン変わって行きました。そして、ある日週刊新潮に彼女が鬼籍に入った記事を読んだときは本当に悲しい思いがこみ上げてきました。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/