M&Uスクール

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今週の喝 第909号(2022.10.24~10.30)この世は全て催眠だ(650)〜凄い肩書きにも動じなかった私!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(650
凄い肩書きにも動じなかった私!

 大川進一郎……彼に渡された名刺を見ると、表面に大書「大川創業株式会社・代表取締役」とありました。当時の私は、“代取”が“社長”だと言うことすら理解していませんでしたので、全く反応が無かったのも彼にとっては異質の人間と感じたと、後年、語っていました。
 彼とのその後の関係をザックリ言うと、もし大川氏と逢っていなければ、今のM&U SCHOOLは出来ていなかったかも知れません。ま、その顛末は後に譲るとして、非常に希有な経歴と人格の持ち主でした。初めて“催眠術”を目の当たりにしたのも、彼が会社の入社式で披露したのが初めてでした。そして彼の夢は、根っからのクラシック音楽好きとクラシック界の現状と窮状、そして自分の経営手腕にも自信があったのでしょう。大川創業(大阪大東市にある大型ショッピングセンター)の敷地内に将来はオペラハウスを作り、その楽団員は生活に困った音大生やクラシック界の人間で構成し、昼間は自社の社員としてショッピングセンターで働いて貰う等、斬新なアイデアで、それを実現化するために弛まぬ努力をする人でした。
 彼は、我が師宇宿允人先生、そして我が母・洋子と同い年(昭和9年生まれ)で、これも偶然の一致!でした。残念なのは、昨年パーキンソン病で逝去されました。M&U SCHOOLの皆さまにご紹介できなかったのが心残りです。
 親子ほどの年の差も、私のLesson姿勢と大川氏の真摯なる態度で、Lessonを重ねる度に音楽の奥に潜む感動表現の心髄や、また彼からは自分の人生から悟った「努力や成功」への奥義を練習の合間に伝えて貰い、弟子とはいえど、後に人生の師匠ともいうべき存在になった人です。

 

★★ギャグも発明も大天才!★★

 彼の経歴は、私と出逢った時には、既に大川創業株式会社の社長でしたが、大阪大学工学部出身で父親が大川質店を経営する方で、本人もその天性を生かして、今は無きサンヨー電気に入社し、色々な発明で業界では有名人でした。彼の発明の代表は、冷蔵庫を2枚扉にして冷蔵庫と冷凍庫を分けたり、冬に重宝する家庭の炬燵が夏には「邪魔!」の何ものでも無いのに着眼し、4分の1の大きさに折りたためるようにしたものなど、けっこうヒット商品を出しているアイデアマンでした。
 私は、そんな彼が「なぜクラリネットを吹くようになったのか」が1番興味のあることでした。それを尋ねたとき、自分の子供時代のことを話し出してくれました。
 上記のような性質ですので、根本的に子供時代は相当ヤンチャな性質(ちょっとした不良少年)に土地の名士である両親は業を煮やしていました。良く言えば、負けん気の強い性質ですから、それが上手く作用すれば“親分肌”ですが、悪い方に行けば家名を穢しかねません。そこで、父親は、説教するのですが、進一郎は「馬耳東風」……業を煮やした父は、
 「何かやりたいことないのか?」
と尋ねると、当時はチンドン屋の全盛期でした。そこで彼は、
 「楽器が吹きたい」
と宣うと、父はその職業柄、質流れ品が蔵にあり、その中に何か楽器があるかもと思い、
 「蔵の中を探してみぃ!なんか楽器があるやろから、それを持って行け!」
と言うことになり、そこで蔵を探したところ、出てきた楽器が“蔵リネット(クラリネット)”だったそうです。このように落ち着きで解説して下さいました。
 ま、数多ある楽器と縁が出来るのは、私も吹奏楽部の欠員がフルートだったのと、私を吹奏楽部に勧誘した先輩(廿日出信夫さん)がフルートだったというたわいもない原因でした。同様に「蔵にあった楽器がクラリネット」これを亡くなる2ヶ月前に出演されたTVの中でもその所以をおもしろ可笑しく語っていました。
 そして、フルート奏者を師匠に選ぶこの着眼点こそ大川進一郎氏の成功の秘訣だったのかも知れません。
 これはとても失礼な表現ですが、大川氏はとても聡明な方でしたが、感性は少々鈍感なところがあるので、丁度バランスが取れていたのでしょう。
しかし、「勘の悪さは努力でカバー」……その為に、私に“白羽の矢”を立ててくれ、それが御縁となって、我がSCHOOLが誕生したのです。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/