M&Uスクール

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今週の喝 第907号(2022.10.10~10.16)この世は全て催眠だ(648)〜フルートは大肺活量が必要な楽器〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(648
フルートは大肺活量が必要な楽器

 さて、私にとって怒濤の昭和54年(1979)も終わり、1980年を迎えました。年末に浮かれすぎたせいか、やはり心はそぞろです。こんな時、私は心を鎮めるためにフルートの練習に勤しむことにしています。しかも、「初心忘れるべからず」の教訓を大切にするために我が母校・今津中学校の音楽室(吹奏楽部部室)の横のよく響く階段ホールで、大体2~3時間ほど練習するようにしています。我が吹奏楽部は、その謳い文句「休みは正月の3日間だけ!」ですから、1月4日には後輩達の新春練習が始まります。それに合わせて、私も心機一転、浮かれ心を捨て去るために、練習に励みました。
 そして、前年の7月に我が師・宇宿允人先生との間で「おもいで酒ヒットパーティー・“若い演歌は今燃える”」の時、関係性がギクシャクしておりましたが、代わりのフルート奏者を幾人か使ったものの師匠の思い通りの演奏が出来なかったこともあり、マネージャー盛田貞代さんの仲介もあって、再び師の元に戻り、コンサートに出ることになりました。その初練習は1月7日でした。
 関西学院大学吹奏楽部の契約が継続されなかったこともあり、私自身心構えをチェンジしたかった時期とも合致したため、猛烈に練習に励みました。
 その爽快感は、今迄、心めげそうになったときの支えとなってきました。今はその爽快感のわけは明快に理解していますが、当時は未だ「笛を吹けば心が晴れる!」程度の認識でした。
 どのオケや吹奏楽部を見ても、フルートという楽器は、女性が担当していることが多いですね。しかし、あの楽器は吹けば分かるのですが、管楽器の中でトロンボーンに次いで肺活量が必要な楽器です。その上、吹奏楽などのバンド内では、音が中々聞こえてこないというリスクが常に付きまといます。そこで聴衆の耳に届けるために、大音量を出すことを念頭に置いて、私は練習した結果、肺に残る空気を全て出し切ることに執心したのです。体内に余分な空気が無くなると、頭の中は何も考えない状態“空”が自動的に体現されたのです。これが、今のSCHOOLでのセルフ・マインドコントロールの基礎になりました。真に偶然の産物です。

 

★★この不協和音の犯人は誰か?★★
 さて、1月7日!ヴィエール・フィルハーモニック(私が不在の間にベートーヴェンクラスの交響曲もレパートリーに加えようという意図で改名されました)の新春初練習の日です。先ずはベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」からスタートです。
 少々専門的なことですが、オーケストラは管弦打、つまり管楽器弦楽器、そして打楽器の三種類から構成されています。その中でも管楽器は、木管楽器金管楽器で出来ています。音楽はリズム、メロディー、ハーモニーの“音楽三要素”から成り、この中でハーモニー(コード)は、単純な3音(たとえば、ドミソ)もしくは、4音(ソシレファ)で出来ていますので、そのハーモニーを響かせようとするなら、楽器は最低2本ずつ必要です。木管楽器を例に取るとフルート2本とオーボエ2本の4本で和音(ハーモニー、コード)を作ります。このようなオーケストラ編成を二管編成といい、ベートーヴェンが活躍した頃までは、ほとんどのオーケストラは二管編成でした。そして時代は進み、オーケストラも進化して、グスタフ・マーラーが活躍する頃になると、金管楽器(特にホルン)を八本も使う大曲を作曲するようになります。私はマーラー作曲の交響曲第3番が大好きで、楽曲の冒頭の部分は八本のホルンがユニゾン(斉奏)でメインテーマを演奏しますが、その音量からくる感動は私たち人間の脳幹を大きく刺激してやみません。
 とまぁ、オーケストラはもの凄い感動と歓喜を我々に与えてくれます。
 私たちのヴィエール・フィルハーモニックも二管編成のオーケストラに成長し、今日(1月7日)は、その練習初日です。
 私は、ワクワクしながら規模が大きくなったオーケストラのサウンドを楽しみに合奏に加わりました。そして師匠のタクトが振り下ろされ「英雄」の冒頭のハーモニーが力強く奏でられたのですが、何か私たちの木管楽器セクションから、濁ったようなサウンドが聞こえてくるのです。木管楽器は総勢8人ですから、この中の誰かが音程が合ってないか、それとも音を間違っているか、また音色そのものが濁っているのかです。そして一楽章が終わる頃に、私(1st Flute)の右斜め後ろの2ndクラリネットの辺りが犯人ではないかと感じだしました。
 そこで、私は右後ろを振り向き2ndクラリネットをグッと睨むと、そこには初対面の年齢は40歳後半の親父風の人が、頭を掻き乍らニッコリと、私に眼で挨拶をするのです。
 これが“大川進一郎”さんとの初対面でした。此の方とはとても深い縁が結ばれるのですが、この続きはまた次号。乞う!ご期待。です。

 

  この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/