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今週の喝 第899号(2022.08.15~08.21)〜レコ大での大きなショック!〜

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成功への道しるべ!この世は全て催眠だ638

レコ大での大きなショック!

 怒涛のような昭和54年(1979年)の大晦日、小林幸子は子供の頃より念願の「紅白歌合戦」に出場し、持ち前の歌唱力から見事に「おもいで酒」を歌いきりました。その日、私はTBSテレビの日本レコード大賞が東京高輪プリンスホテルで行われ、その会場にテレビ局の招待で、有名なタレントや作詞、作曲家の方々と同席しておりました。
 私が座っていたテーブルには、歌手のジュディー・オングさん、作詞家の阿木燿子さん、作曲では宇崎竜童さんや三木隆さんといった錚々(そうそう)たるメンバーと同席させてもらいました。私の斜め向かいに座っていたジュディー・オングさんとは幾度も眼があいましたが、あのように美しい瞳を見たのは生まれて初めてでした。
 そして、レコード大賞が発表され、我が「おもいで酒」は惜しくも次席の“歌唱賞”でしたが、それでも私はとてもうれしい思いでいっぱいでした。サッチンの歌を初めて神戸国際会館で聞いた時の感動……それは「私の歌をこれほど丁寧に唄ってくれる歌手に巡り会えた」という純粋な歓びが思い出されたからでした。
 そして、そのステージが終わるやいなや、ジュディー・オングさんの所属するバーニング・プロダクションの社長が私たちのテーブルにやって来て、同じテーブルに居た業界のボスでレコ大の審査員長(名前は忘れました)に、
 「今日は誠にお疲れさまで御座いました。これからもジュディーの事を何とぞヨロシク!」
と挨拶と同時に、“とらやの羊羹”の包みを渡すのです。この頃になると、審査員長もしこたま御酒がまわっていたのでしょう。我々の居る前で“とらやの羊羹”の包みをバリバリと開封し、そして、羊羹をテーブルの上に並べ、その下にある札束をシッカリと確認しているのです。
 このような世界が実際にあることに驚きましたが、国民総てが固唾を呑んで見守っているレコード大賞すらがこんな“茶番”の下に行われている現実に、大きなショックを受けました。 

★★嘘隠しのない「有線放送大賞」★★
 そんな現場に遭遇し、恐ろしいばかりの嫌悪に駆られた私を尻目に、何れかの芸能リポーターが大声で
 「今年の盛大なる茶番も無事に終わった。さぁ、みんなNHKホールに行こう」
と叫ぶのです。私は確かに“とらやの羊羹包み”の中身をこの眼で見ました。私が26歳も終わろうとする1979年の大晦日の天よりのプレゼントのような気がしました。一つ褒めてやりたいのは、そのような世界を目の当たりにしても、私の心は動じない(不動)だったことでした。
 今思い返すと、私の真隣に居た有名な作詞家の先生が、
 「梅谷さん、なんで“虎屋の羊羹”なのか分かりますか?」
と質問をしてきました。そんな理由を知る由もないので、素直に聞き返しますと、
 「あなたは大阪の人だから分からないでしょうね。ま、お帰りになるときにお土産に買って行かれるが宜しかろう!」
と言って、私の肩をポンと叩いて「また逢いましょう」と、笑顔で別れました。
 翌日、1980年1月1日東京駅のお土産売り場の前を通りかかったときに、とらやの売店があったので少々上等な羊羹をお土産に買いました。それを店員から貰った時に、私はハッと気付きました。彼の羊羹はとても重い……従って、奥に札束を忍ばせても尋常では見分けが付きにくいのです。
 そんなこんながあって、なんか釈然としないまま大阪に凱旋しましたが、私自身
 「魔界の世界に足を踏み入れた」
と正直に思い、肚の底からの歓びは湧いてきませんでした。
 何はともあれ、日本レコード大賞と紅白歌合戦という私のような一般人が立ち入ることの出来ない世界を垣間見ることが出来たのですから、良き思い出です。
 しかし、思い返せば楽しいこともありました。それは12月の半ばに大阪の読売テレビが主催する“全日本有線放送大賞”で「おもいで酒」がグランプリを頂戴し、その流れで当時高視聴率を誇っていた番組「イレブンPM」に出演できたことでした。司会は西宮在住の「藤本義一」さん。何処で調べて下さったのか、私が今津中学校吹奏楽部の出身であることや、クラシック畑出身で演歌を作曲したことなど……。後で分かったのですが、ニューソニック・ジャズオーケストラの社長で“あなた”の作曲で有名な小坂明子さんのお父上である小坂努さん、そして「なにわのモーツァルト」こと、今津小学校出身のキダタロー先生からの情報だったのです。

 

   この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/