M&Uスクール

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今週の喝 第240号(2009.11.23〜2009.11.29) 氣の力を知ろう(47)〜若き理想は人生を決める!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(47
〜若き理想は人生を決める!〜

 

 吾十有五にして学に志し……十代の後半、私の場合、中学生の時に徹底的に「何事もやれば出来る」という精神を、吹奏楽を通して得津武史先生から叩き込まれたと同時に、音楽の持つ美しさや人の心に勇気を与えるエネルギーを体感しました。
 私は、この世に神が人間に与えたもうた「氣」の誘発の最高峰……それは音楽だと信じて疑わず、いつか自分も多くの人を感銘させる音楽を奏でることができれば、いや、創り出すことができればと、心の奥底に蠢動(しゆんどう)を感じていたのを思い出します。
 しかし、現実は父の稼業である畳屋を継ぐのだと幼少の頃より教育されていたので、私の十代後半は毎日が心の葛藤で、今思えば、あれほど苦しい日々はありませんでした。音楽の魅力と生まれ育った使命の狭間で、毎日が憂鬱そのものでした。そして、“愛すべき父が宿敵”と感じても、それに抗すべき勇気を持ち合わせていない自分は、まさに落ちこぼれのセルフイメージで心は荒(すさ)ぶ一方でした。その時、心を癒してくれたのは、自分が奏でるフルートの音色そのものでした。苦しい時、悲しい時、腹の立つ時、思い通りにならない時、どんな時もいつもフルートを吹くことによって、私は平常心を保つことが出来たのです。
 そんな折、いつものようにやるせない気持ちを癒すべく、母校今津中学校の教室でフルートを吹いていると、ニューヨーク・フィルハーモニーのレナート・バーンスタイン氏のもとで研鑽を積まれ、当時大阪フィルハーモニーの副指揮者に就任されたばかりの宇宿允人(うすきまさと)先生が入って来られ、突然、J・S・バッハの管弦楽組曲第2番ロ短調の楽譜を「これを吹いてみなさい」と差し出されたのです。これが機縁でスカウトして頂き、プロとしてデビューすることができました。梅忠19歳の秋のことです。

=学に志すとは……?!=
 私は、孔子の宣(のたま)う「学に志す」とは、人間の想念の在り方であると思うのです。自分の体験から言えることは、音楽の魅力という“氣のエネルギー”に私自身感応し、楽器を演奏している時もそうでない時も、常に頭の中には音楽が鳴り響いていました。これがやがて、自分の身体からほとばしるオーラとなり、が偶然という形の必然で師匠との出逢いを演出してくれたように思えてなりません。その時の自分を今振り返ると、ただ音楽が好きで、そこには何の欲望も私利もありませんでした。あの時期ほど、音楽に対して無欲、かつ意欲的であったことはありませんでした。
 自分で言うのはおかしいのですが、あの頃の私は自分のフルートを聴いて下さる人に心から敬意を表し、「私の拙き音楽で良ければ、どうぞいつまでも」という気持ちでいっぱいで、自分の腕を自慢するようなことは全くありませんでした。なぜなら、私はプロになどなろうなど毛頭思わなかったのですが、音楽の美しさや力強さにだけは常に興奮状態でありました。
 これが「学に志す」ことと偶然合致したのだと私は思います。「学」とは、自分が志す将来の仕事や使命という方向性ではなく、心の有り様ではないかと感じたのでした。「学」とは、先ず物事に対する純粋な姿勢を持つことではないでしょうか。我々現代人は、常に何事も損得勘定にとらわれビジネス化し、さもそれが社会人の証しであるように自分自身を納得させてきました。しかし、その考え方自体がおかしいと考えると、現代日本の殺伐性、砂漠化した人間関係が理解できます。何事も、純粋な原点からスタートしているはずなのに、自らの手で汚しているのではないでしょうか。
 音楽という芸術は、五千円のコンサートチケットに置き換えたり、レコードの売り上げ枚数を競ったりするものではありません。純に、人の心のわだかまりを溶かし、苦痛を和らげ、勇気を鼓舞するエネルギーそのものであるはずです。それは、人間関係に於ける思いやりや手助け、気配り……つまり「徳」と同じ精神でなければならないように思います。
 従って私の解釈は、「学に志す」とは「徳を育む必然性に氣付くこと」であるという結論に至りました。従って、30歳になって自分の進むべき社会の方向性がはっきりした時、心のベースに“他者を思いやる徳育”が為されていなければ、自分の使命を全うするための人生のスタートラインにすら列ぶことができません。この「徳」という通奏低音の上にその人間独自の社会に於けるメロディーを奏でることで、自分が自由奔放にやりたい放題の人生を送っても、誰にも迷惑を掛けることのない堂々とした一生……「七十にして己の心の欲するところに従い、矩を超えず」を全うすることができるのです。

この続きは、また来週……('-^*)/