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今週の喝 第239号(2009.11.16〜2009.11.22) 氣の力を知ろう(46)〜論語は摂理全うの解説書〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?

氣の力を知ろう(46
〜論語は摂理全うの解説書〜

 

 今から二千五百年も前に、人の歩むべき道の理想を示した孔子の言葉。今も全く色あせることのない「論語」は我々の心に警鐘を与え、その指示通りに行動することで世の摂理に逆らうことなく、素晴らしい人生を全うすることが出来るのです。
 さて、人生というものは誰もがみんな、どの世代に於いても初体験であり、過ぎ去った日々はその人間に独自の“経験と勘”を育てます。しかし、この“経験と勘”は、自分が生来持つ性質に、その時代の制度、どこで生まれどのように育ったかという環境、そして、誰の子供として生まれどういう人達の下に育ったかという人的編成という四つの要因によって形作られてゆきます。従って、どんなに尊敬出来る人物でも、その所業をきっちり踏襲し実行しようとも、絶体に同じ人生を歩むことはありません。
 少し考えれば、時代や考え方、また、社会構成の相違として当たり前のことです。人はそれぞれ独自の人生を歩まなければならないのです。しかし悲しいかな、その独自性そのものを肯定しなければ心が不安になり、世に認められていないような錯覚に陥るため、意固地になって「自分の所業が正しい」と思い込んでしまうのです。
 そして、それを後進達に無理強いするところに世代格差が生じ、人vs若者”の対立が起こり、いつの世も年配層は「今時の若いモンは……」と愚痴をこぼすのです。イギリス人考古学者サー・アーサー・エヴァンス博士が20世紀初頭に紀元前1600〜2000年頃のクレタ文明の遺跡を発見し、その文字を解読した中に、同じ言葉があったと言いますから、これは人間が避けて通れない感覚なのでしょう。
 そこで論語の「為政」の一節「われ十有五にして云々……」が光を放つのです。この格言は、人の歩むべき道を世代ごとに示しており、いつの世になろうとも変わることはありません。

=困った、困った!未体験の世代は……?!=
 私は、孔子が述べたこの論語「為政」の一節に、私は自分の体験から「どのようにすれば、孔子先生の言うような理想の人生が歩めるのであろうか」と人間の行動活力の源である“氣”を込めて解釈しながら、この文章をしたためております。そして「志学、而立、不惑、知命、耳順」までは、何とか私なりの体験から解釈し、そこに如何に氣を込めるかということも一般的に方程式化して解説することが出来たように思います。
 しかし、これから先は、困ったことにまだ私は体験していません。しかし、「七十にして心の欲するところに従いて、矩(のり)を踰(こ)えず」という人間晩年の理想の姿「従心」に本当に深い意味があることは理解できます。この言葉は「自分の心の赴くままに行動しても、社会の規範から外れることもなく、安寧に暮らすことが出来る」と解釈することも出来ますし、また、真剣に人生を生きてきて業績や名誉を得た人ならば「自分の心が、自分自身の人生を決定づけた業績の方向に歩んだ結果、自分自身の行動そのものが社会の規範となった」とも言えるのです。つまり、新しい規範を創造した人間になったということです。
 しかし、ほとんどの人間は、このような人間らしい生き方を意識することなく、唯、我欲の中に己を埋没させ、心と行動が一致しないまま一生を終える人がほとんどです。しかし、人は何故この世に生を受け、何をして、どのように人生を終わればよいのかという、人間最大の疑問に対する回答が、今まで語ってきた事(体験した人生から感じた人間の生き様)の延長線上にあるとするならば、およそ察しは付きます。
 お釈迦様が説いた人間の業縁である四苦八苦も、それに向かって氣を発し、問題を解決しようという能動的姿勢を発揮するための機縁であると私は思います。つまり、苦しいからこそ、それに挑戦する氣を発する!そして、それを乗り越えた時に起こる深い満足感や充実感、達成感が年老いたにもかかわらず凛々しいオーラを放ち、その光が後進達のこれから進む人生航路に対する灯台の役目を果たし、尊敬と憧憬の念を集める相乗効果がそこに生まれるのです。
 何故そのようなシステムが必要なのかを鑑みると、我々人間の人智の及ばないもっと大きな生命体(一大宇宙心霊)が、自らのエネルギーを善なるもの、完全なるものへ集約させるための浄化作用なのかもしれません。つまり、仏教の説く涅槃の思想……我々人間個々の精神を氣付きによって進化させ、安寧なる一つの偉大な精神体系の創造へと誘うための象(かたち)であるように思います。


この続きは、また来週……('-^*)/