M&Uスクール

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今週の喝 第866号 (2021.11.22~11.28)  この世は全て催眠だ(607)〜「音楽ゴローさま」製造機〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(607
「音楽ゴローさま」製造機

 「貧すりゃ鈍(貪)す」……オーケストラに入るには幼少より楽器を習い、音楽大学を目指してシッカリとしたその道の先生につき、誰もが「ウン!」というレベルにまで演奏能力(技)を鍛え、やもすれば、一緒にレッスンを受ける同じ門下生であっても“敵”と見做すことも屡々です。
 このように苦労して音大に入学しても、当たり前と言えば当たり前なのですが、卒業演奏会には、主席次席の人しか出演することが出来ません。私は、音楽大学を出ていませんが、一度、卒演に招待されたことがあります。(敢えて、大学の名は伏せておきますが)その雰囲気は異様なものです。
 本来のコンサートは聴衆が誰しも日頃の心身の疲れを癒やされようと聴きにきます。しかし、卒演は選ばれし者の凱旋演奏の様相がありますから、聴いている者は敗北者の観念が強いのです。ですから、出演者も聴衆に後ろ指を指されまいという防衛観念が優先して、完璧な演奏を目指します。そこで、素晴らしい演奏をしようと、また重圧に負けてポカ(音楽仲間で「間違う」ことをこのように呼びます)をしようと、一つ大切なモノを置き忘れています。それは、長年月音楽(楽器・歌・作曲)に勤しんできた「目的」です。
 音楽の大目的……それは、自分が「ブラボー!」と絶賛を浴びるためではなく、聴衆の心に届く音楽で癒やすことです。しかし、卒演の出演者にも聴衆にも、相手を労う“気”など微塵も感じられず、トゲトゲしい雰囲気が会場内を支配しています。つまり、音楽本来のエネルギー(=情緒)を学ばずに世に出るのです。
 本来は、感性豊かで情緒深い人間に成長して卒業して行くのですが、彼等はよく鍛錬された兵士の如く、闘争心と勝利感で自己満足する人間に成長します。そんな中から、「貧すれば貪する」という格言通りの「音楽ゴローさま」が誕生するのです。

 

★★“感動”の前では皆、真摯になる★★
 このメカニズムにがなかったのが“私”です。幸いにも音楽大学に行けなかったのですから。しかし、コンクールに出演する事はどこか「卒演」と共通項があります。しかし、音楽はオリンピックではありませんから、点数による成績で優劣を付けること自体がおかしいと考えるようになり、全日本吹奏楽連盟は、その評価を技量のみを基準にするのではなく、観客(聴衆)の心地よさにどれ程貢献するかをランク(レベルを基準にした順位付け)として考え、金賞銀賞銅賞として、全日本大会に出演した者達は、それだけで、ランク付けされたのだから何(いず)れかの賞を受賞できる制度に改変しました。それも、中学時代に私が味わった「仙台涙のコンクール」の影響も大きいと聞いております。
 しかし、地方予選で審査員が「これは金賞に値する」と判断し、高得点で金賞が4校出たにもかかわらず、規約では全日本大会に3校しか出られないなど、金賞を取ったのに全日本大会出場叶わずといった、通称「ダメ金」など、情緒を順位で表す難しさはなくなりません。
 そして、ダメ金の生徒達はそれを引きずり、下手をすれば、生涯心の引っかかりとして残ることも屡々です。そして、人間は意識、無意識を問わず生命進化の過程の中で育んだ「生存競争」のメカニズムの中から、「リベンジ心」が自然な形で芽を出し、正面からのリベンジのみならず、全く違う方向へ心を向かわせます。つまり、「八つ当たり」的行為が、人間の堕落を喚起するのです。

 このような闘争心も、使い方によって素晴らしい成果を生み出すエネルギーにもなれば、周囲に悪影響を与えて雰囲気を乱す“悪の枢軸”にもなりかねません。それを決めるのは「個々人の感性」ですが、その性質も、「環境・制度・編成」という生まれ育った地域性や教育に大きく左右されます。
 これは、吹奏楽コンクールに止まらず、勝利を目指して、“無我”になることによって、集団(楽団)の戦力になり、また一つの目標に向かって邁進することで、そのモチベーションが後進たちに伝統として影響を与え、育ってゆく……そこに個々人の能力は、ほんの少ししか影響力を持たない事を、我が母校“今津中学校吹奏楽部”で実体験しました。それは、私たちの“性質”は集団心理と雰囲気の中、影響力の大きなリーダーによって、勝利は形成されることです。
 そして、宇宿允人先生との出逢い!この邂逅(人生を変えるような出逢い)も今振り返ると、心と心が引き合い、影響を受けた賜物だと思います。我が師・宇宿允人先生が、私たちに身を以て教えてくれたこと……それは、音楽という超高尚な芸術で、純粋に音楽を聴くことが出来なくなった音大生やプロとして活躍しながらも“音楽ゴロー”と成り下がる人間達も、“感動”の中では初志を思い出し、熱心に師匠のタクトに付き従う変化が、今も鮮烈に瞼(まぶた)に焼き付いています。
 どんな、破落戸(ゴロツキ)も“感動”の前では真摯になり、本来持つ素晴らしい人間性、集中力、指導力を取り戻すことを、我が師・宇宿允人先生は身を以て、ヴィエールの楽団員のみならず、多くの音楽家を啓蒙してゆきました。

 

    この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/