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今週の喝 第865号(2021.11.15~11.21) この世は全て催眠だ(606)〜中音パートは欲求不満になりがち〜

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潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(606
中音パートは欲求不満になりがち

 世の中の人間は2種類です。それは、問題を作り出す者と問題を解決する者に分かれます。問題を作り出す側の人間は、問題を解決する側には決してまわらず、また問題を解決する側の人間が、問題を作り出すことはありません。このように明言すると、
 「そんな単純に割り切れないのでは……」
と言う声が聞こえてきそうですね。しかし、私も訝しく思って世の中を観察すると、クッキリ、ハッキリ分かれています。
 そして、それをオーケストラに当て嵌めますと、これは総てというわけではないのですが、問題を創り出す側の人間は大体パート別に分かれていることが分かります。先回話した“音楽ゴローさん”達と共通しているから面白いです。それは、大体中音パートを受け持つ楽器奏者に多いように思います。これは、私の体験からですから、異論もあるとは思いますが、ここは一つ私の独断と偏見の解釈をお聞き下さい。
 中音パートと言いますと、木管楽器ではクラリネットファゴット、金管楽器ではホルントロンボーン、弦楽器はビオラといったところでしょうか。何故そのパートの人達にゴローさん系統が多いのかを、オーケストラの楽器別人格考査をしている書物などを紐解きますと、先ず高い音を受け持つフルートオーボエトランペット、弦楽器ではヴァイオリンなどは、演奏した分だけ観客の耳にそのメロディーはハッキリと届く故、ミスを冒した時などハッキリ分かり、後ろめたさが残ります。また、逆に上手く演奏できた時は、気持ちがスカッとします。また、低音部を受け持つ楽器は、音楽の構成上、重要な土台部分ですので、これも自分達楽器の持つ責任と義務をしっかり感じ、親分肌の気質が自然と身につきます。しかし、中音部分を司る先の楽器は、和音を構成する役割はもの凄く重要ですが、ハッキリとした“音”として観客の耳に届くのではなく、全体の中の“響き”を醸し出す役割をしているので、その役目を明快に理解していても、いつもフラストレーション(欲求不満)の心になりがちなのです。

 

★★オーケストラの諸問題★★
 この鬱屈が、高じてくると何処かにはけ口を求め、そこに先般話しました薄給と相まって、崇高な精神をもって音楽の道を志した初心から徐々に逸脱し、高収益を得ている指揮者やソリストに、何の遺恨も無いのに、八つ当たり的にその矛先を向けてしまいます。しかも、オーケストラに入団できる者は、音楽大学を卒業した人達の中でも成績優秀なメンバーなので、もちろん頭脳明晰です。その素晴らしい頭脳を欲求不満のはけ口に注ぎ込むのですから、すこぶる合法的な手段をとって事に当たります。つまり、やっていることは誰にも後ろ指を指されることなく、相手にイヤな雰囲気を感じさせるという、とても陰湿なリベンジを演出するのです。
 たとえば、練習時間が午後5時までとすると、指揮者が楽団に対して要求が多い場合、あと少しで終わるのに「時間です!」と手を挙げて途中で止めさせ、練習を切ってしまいます。中には、時間になるとホイッスルを吹いて中断する者も居たと聞いたことがあります。
 それは規約の面では合法でしょうが、音楽という情緒が主体の芸術では、本の少し時間的に辛抱して指揮者とオケのメンバーが“気持ちよく”練習を終了した方が良いように私は思います。つまり、彼等音楽ゴローさん達は、長年月を懸けて心を歪めてしまったのです。
 また、指揮者がナーバス(繊細)な要求をしてくる場合など、私は一所懸命その要求に応えようとしますが、中には音を出す側の特性を生かして、それに反抗する者もいます。指揮者が「そこは、ピアノ(小さく)で……」と言うと、聞こえないような音で吹き、「もう少し、フォルテ(大きく)」と言うと、ヴワッと大音量を出したりするのです。そういうメンバーに注意を与える正義感の強い人間がいると、練習後に陰湿な嫌がらせに遭うことも屡々です。これは実際にあった事例ですが、「さぁ練習が始まる」と楽器を用意し、自分の定位置に座り、ライブラリー(楽譜係)が譜面台上に置いてくれた楽譜をめくったら、そのページの余白に「下手くそ!死ね」などの落書きがあったりするという、考えられない嫌がらせまで発展した事例もあると聞きました。そして、それらに耐えきれず自殺にまで発展したケースもあります。
 こんな悪習に敢然と立ち上がった指揮者が、我が師・マエストロ宇宿允人先生でした。先生は自分自身がNHK交響楽団のトロンボーン奏者として、あらゆる事例を体験した上で指揮者としてデビューを果たした経験から、問題を作る側も解決する側も、そこに滾(たぎ)るような情熱は無く、ビジネスライクになってしまって、妥協や諦めが横行していることに“日本の音楽界(特にオーケストラ)の堕落”を見て、その憤りを感じていた矢先に、神戸女学院の弦楽器のメンバーのオファーと相まってヴィエール室内合奏団を創設し、情熱溢れる楽団を自らの手兵として立ち上げたのでした。
 そして、初めてのヴィエールの客員指揮者でルーマニアからやって来たのが、マエストロ・イオネスク・ガラティ氏だったのです。  

   

    この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/