M&Uスクール

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今週の喝 第867号(2021.11.29~12.5)  この世は全て催眠だ(608)〜「宇宿ミュージック」って何?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(608
「宇宿ミュージック」って何?

 宇宿先生は、音楽界の風雲児的存在でした。後にNHK教育テレビで「鬼才」として取り上げられたことでも分かるように、賛否両論ありました。日本の音楽教育をアカデミックに定着させた斎藤秀雄先生(今もその先生の名を冠するオーケストラが存在しています)の音楽に対して正面から異を唱え、真逆の音楽解釈で音楽を学術的(音楽を学ぶ者)から感動的(音楽を愛好する者)へ大変革を志した挑戦者でありました。
 先般、クラオタ(クラシックオタク)を自称する音楽ファンの方に会いました。私が40歳くらいの時に偶然我が師匠の指揮で、私の演奏するフルート協奏曲を聴いたそうです。その時のフィルハーモニアTOKYO(このオケの事は後日!)の感想を「素人集団!」とバッサリと切ってきました。そして、
 「当時カラヤンの昔の録音CDが千円なのに、宇宿先生のは三千5百円はおかしい」
と言う論調です。確かに、当時のフィルハーモニアTOKYOはマエストロ宇宿の音楽を慕って参加したメンバーで構成されていましたので、東京だけではなく、名古屋や金沢、大阪のオーケストラ団員が、コンサート前一週間の練習で本番を迎えるという強行スケジュールでのコンサートも屡々でした。
 私が、マエストロ・ガラチから、モーツアルトの交響曲40番を降板させられたように、一般の指揮者は「揃う」ことを主眼に音楽をまとめるのが主流でした。しかし、今津中学吹奏楽部で
 「リズム・メロディー・ハーモニーの音楽の三要素を美しく揃えることで日本一は間違いなし!」と、そればかりスパルタ教育されていたとき(私の中三時)に、仙台で行われた全日本吹奏楽コンクールで、審査員の一人、山田一雄先生「中学生にジプシーの心は表現できない」として、最低の成績を点けられたことに端を発し、そこには音楽に大切なモノは「情緒」であることを感じました。
 確かに、クラオタが言うようにその頃の演奏は「不揃い!」でありアインザッツ(音楽の縦の線)も乱れています。しかし、ワクワクする感覚は、カラヤン先生斎藤先生の其れからは伝わりません。その証拠に、フィルハーモニアTOKYOの高価なレコードは、今はプレミアがついているモノもあり、完売しています。

 

★★上手いより心に響く音楽を★★
 後に私と深い縁が出来る歌謡歌手・小林幸子さんは、それは歌の上手い素晴らしい歌手であったにもかかわらず、9歳で古賀政男先生にスカウトされて以来、「苦節15年」の流行語を生み出すくらい、鳴かず飛ばずでした。初めて、彼女が「おもいで酒」を唄ったのは、神戸三宮にある阪神大震災前の神戸国際会館大ホールでした。その時の私の感想は、
 「こんなに私の歌を情緒豊かに唄い込んでくれて、とても嬉しい」
と、感じたことを思い出します。しかし、彼女は全くヒット曲が出なかったので天下の古賀政男先生が精魂を込めて書かれた「うそつき鴎」も先生の知名度で少しはオンエアされたものの、すぐにオファーは無くなりました。
 音楽は、上手いだけでは聴衆に受け入れられません。むしろ、耳障りの良い音楽は、BGMとしては素晴らしいかも知れませんが、名演と言われるにはインパクトと表現が不足しています。この辺り、我が師匠・宇宿先生の音楽表現は、少々アインザッツ(縦の線)が狂っても、演奏者の気合いが漲っていれば、何も言わず音楽を先に進めるのでした。むしろ、我々奏者がそのようなアインザッツに気を取られ腐心するより、気概をもって情熱をメロディーに吹き込もうとする意気込みを大事にしました。このような考え方があったからこそ、私の笛を見込んで下さり、20歳の若者をコンチェルトに起用したのだと今では思います。
 当時の私は、とにかく綿が水を吸うように先生の要求を何の疑問も持たずに、理解など二の次に先生が「良し!」とOKサインが出るまで、食いさがってゆきました。すると不思議な事に、師匠が何を求め、どうしてそのようなことを要求するのかが、自然に分かるようになってきたのです。
 そうして一所懸命、師匠と同化しようとしている内に、面白いことに次に何を求めて来るのかが、霊示として感じるようになってきました。そして、この以心伝心の感覚が自然と分かるようになってくると、ますます楽器と師匠の指揮棒が頭脳を通さず一つになり、それこそ何にも捉われない“逍遙遊(しょうようゆう)”の境地に入ってゆきました。逍遙(しょうよう)とは、中国諸子百家の一人、荘子(そうじ)が説いた、どんなモノにも拘(こだわ)らない自由な境です。
 このような心情を体験できたのも、私の境遇が音楽教育の環境に恵まれておらず、宇宿先生以外に私を音楽の世界に誘ってくれる人が居なかったことが良かったのだと思います。だから、素直な心でついてゆくことができ、何の疑問も挟まずにまさしく逍遙の心で音楽と遊べたのだと思います。

 

    この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/