M&Uスクール

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今週の喝 第857号(2021.9.20~9.26)この世は全て催眠だ(598)〜どう考えても、改変箇所が見つからない!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(598
どう考えても、改変箇所が見つからない!

 “おもいで酒”のダメ出しから20日ほど経った頃、私はさっぱり自分の心からその楽曲のことを忘れていました。何故なら、自分にどう問いかけてみても、手を抜いた箇所など見当たらないばかりか、自分の頭の中でその歌を繰り返し歌ってみても、自画自讃かも知れませんが、とても良い感じの歌なのです。ですから、どこをどう修正すれば良いのか、全く分かりませんでした。
 私は、それまでも自分自身が信じたことは、決して頑固性からではなく、他人が何を言おうと「変えられないものは変えられない」ので、不思議と心にわだかまりを持たず、自分から断捨離する性質でした。それも、良い意味でも悪い意味でも、執着がない世界を体験してきたからだと思います。
 大学受験に全て失敗した時も、失意のどん底にいながらも、悩んだという感覚はありませんでした。そして、やっと我が身を引き受けてくれた大谷大学に入学した時も、私の前後にいた友人、新光晴さん大野知資さんと仲よくなり、自分の運命を恨むというような“高尚な”感性は出てきませんでした。今から考えれば、あらゆる事象をそれなりに受け止めて来たように思います。そこには、「音楽に対する情熱」がその他のことを気にしない心根を形作っていたのかも知れません。
 そんな時、我が生涯の師匠・宇宿允人先生にスカウトされ大学一年にして(一年浪人しましたが)、20歳でプロのフルーティストとしてデビューできたのです。この時の歓びは、今思い出しても全身の血がたぎり、全智全霊という生命の根源を感じた瞬間でした。そんな感覚の私の潜在意識から、湧き出たメロディーだったので、正直に言って、何をどうして良いのか全く分かりませんでした。

 

★★歌は世に連れ、世は歌に連れ★★
 為す術なし!と、肚を括っていた時に、
 「高田です。梅忠サン“おもいで酒”の改変は出来ましたか?」
と、電話がかかってきたのです。一瞬、“やばい!”と思い冷や汗ものでしたが、次の瞬間、
 「はい!出来ております」
 「ほな、今夜家(うち)に来てきかしておくなはれ」
 「了解しました。それでは今夜お伺いします」
と、無意識に近い状態でウソを言ってしまったのを今も思い出します。その実、ダメ出しから何もしていない私は、我が師・宇宿允人先生の教えの一つ、どんなつまらない楽曲も精魂を込めて演奏すれば、素晴らしいものになると言い聞かされていましたので、楽曲の魅力ではなく、表現方法に重きを置いて……つまり、作曲の立場ではなく、演奏家の立場から、「おもいで酒」を表現することを肚に据えて、高田先生宅を訪問しました。その時の心境は、先生に“良し”と言われようとまたもや“ダメ出し”されようと、自分自身の中でやりきった感覚があるのだから、それ以上も以下もない、普通の人間には無い“欲望を完全に捨て去った状態”であったと思います。悪く言えば「開き直っていた」のです。
 そして、先生の前で以前聞いて貰ったのと同じメロディー(完全に詐欺です)をフルーティストの感性で感情を込め、一つ一つの音型を情緒豊かに歌いました。そして、歌い終わって沈黙の20秒ほどが過ぎた時、瞑目していた高田先生が静かに目を開き、ボソッと一言!
 「エエ曲でんな!それみなはれ。やったら出来ますやないか。特に、サビの部分がよろしいな。私の作詞意図とピッタリですワ!」
 私は驚きました。この詞を貰った次の日に、勇んで高田先生宅を訪れた時と全く同じメロディーを演歌風に、特にサビの部分(楽曲の聞かせ処で、小節や思い入れを一段と強くする箇所。おもいで酒では「あの人どうしているかしら」の部分)を強調しただけで、高田先生は自分の詞の意図と合致したと絶賛して下さいました。そして、ご家族全員を応接室に集めて、それ以降、4~5回歌ったのが懐かしい思い出です。
 その時、私はまったく同じメロディーなのに、以前のは「ダメ出し」され、今回のは絶賛!というのはどういうことなんだろう?と頭の中がパニクったのです。……そこには、人の情緒というものが介在し、その中で物事を判断するのが人情だということを初めて感じたのです。
 もう一つ考えられることは、高田先生はこの「おもいで酒」を作り上げるのに約2ヶ月という歳月を掛けて完成させたにもかかわらず、新参者が詞を渡した次の日に持ってきたことにも某かの抵抗があって「ダメ出し」に至ったとも考えられます。また、同じメロディーを情熱的に(少々臭く演歌的に)歌ったことが共感を得たのかも知れません。
 なにはともあれ、既に高田直和先生は鬼籍に入られましたので、今はその真相を知ることが出来ませんが、私がそこから学んだことは、音楽にはその演奏(歌)の情熱度合いが作曲以上に重要な役割を果たすことを、宇宿先生から叩き込まれていたにもかかわらず、再認識したのです。音楽の奥深さは、作曲と表現、そして、それを聞く人のその時の心の有様(情緒)が相まって人から人へと伝わって行くことを認識したのでした。
 まさに「歌は世に連れ、世は歌に連れ……」なのです。

 

    この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/