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今週の喝 第853号(2021.8.23~8.29)この世は全て催眠だ(594)〜選挙は狂気!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(594
選挙は狂気!

 満25歳という若さで、西宮市市議会議員に初当選した、関西学院大学応援団総部吹奏楽部出身今西えいじ先生との出逢い……これも私の人生を大きく変える第三番目の“邂逅”です。
 一番目の邂逅は、このコラムでも既に書き綴ってきた今津中学校吹奏楽部得津武史先生、第二番目は、生涯の師となる宇宿允人先生、そして、若い政治家との何気ない出逢いのように感じられましたが、齢70歳近くになって我が人生を振り返ると、第三番目の出逢いである今西えいじ先生は、この方なくては私の人生を語れない大切なご縁をもたらしてくれました。
 その今西えいじ先生が市会議員一期目の任期を終えようとする時、第二期目の選挙に向けて、後援会青年部である「よこぶえの会」も実働し始めました。
 その当時、私と今西先生は背格好、顔かたちが遠目にはよく似ていたこともあり、あれから40年以上経っていますので書きますが、選挙運動中に、今西先生が立ち会い演説会の会場で選挙演説をしている間、選挙カーを遊ばせておくのはもったいないというので、私が「候補者 今西えいじ」と書いた襷(たすき)を掛け、候補者と同じ色のブレザーを着て選挙宣伝カーに乗り、少し顔を下向き加減にして(こうすることで判別不能)、右手を高々と挙げ、隣で可愛い関学の放送部在籍のウグイス嬢が、
 「今西、今西、今西えいじでございます。ご通行中の皆さま、この度の市会議員選挙には、今西、今西、今西えいじを宜しくお願い致します」
と、金切り声で喧伝して廻りました。
 この時です。向かいから同じく自民党から出馬している同志の議員先生の宣伝カーが
 「今西先生のご健闘をお祈り致します」
と、エールを送ってくれるので、こちらも答礼したとき、その先生の乗る車が対向車線に止まり、何と議員先生が車から降りて私に近づき、互いの健闘を祈って握手を求めてくるではあ~りませんか。「やばい!」バレたら同会派といえども、一悶着起きるかも知れません。
 その時私は、肚を据えて堂々とその先生に、
 「○○先生、互いに頑張りましょう」
と強い握手で健闘を称えると、シッカリとアイコンタクトしながらも、私が今西えいじ先生の影武者であることに気付かず、去って行きました。ハラハラ、ドキドキの思い出です。選挙とは、いつも議会で隣の席に座っている者同士でも、分からなくなるくらい狂気性をはらんでいるのですね。

 

★★不思議や不思議、第4の邂逅★★
 今西えいじ先生2回目の市会議員選挙は、次席を倍近く引き離す得票数でトップ当選しました。そして、その祝勝ムードも覚めやらない時、
 「梅忠、私も将来はもっと大きな世界に羽ばたきたいと思てるんで、ちょっと私のアイデアに乗ってくれへんか」
と、突然の電話です。そして、今度は何をやらかそうとしているのか興味津々で出かけると、
 「実は、北方領土返還にまつわる歌を作って、それを私の歌で自費出版でも良いからレコード出(だ)そ思てんねん。そこでやな、あんたの仲間で作詞できる子いてへんか。新鮮な感じの詞が欲しいから探してみてえな。題名は“ニシンの歌(仮)”や。今、北海道にはニシンが全然来んようになってもた。それと北方領土を引っ掛けて歌にするんや。長年月、国の行く末を思っていた証拠にもなるからな。まだ市会議員やけど、志は国会やからな。もちろん作曲は梅忠、あんたに頼むで!」
こんな素っ頓狂な申し出でしたが、一度言い出すと絶対に後に引き下がらない今西えいじ先生ですので、私は精一杯の協力をする事にしました。
 そして、ヴィエール室内合奏団に新たに入団して意気投合した相愛学園の仲間に相談したら、ヴァイオリン牧野多美子さんは、文学部に行くか音楽部にするか迷うくらい、文学少女だと言うことなので、
 「タミちゃん、こんな依頼が来てんねんけど、作詞してみる気はある?北方領土返還にまつわる詞やけど、流行歌風に書いて欲しいから、気負わんと書いてくれたらエエねん」
この問いかけに、多美子さんは快く引き受けてくれました。そして、文学を目指したお嬢さんだけあって、
 「初めてやけど挑戦してみるわ。詞の内容やけど、ニシン漁に行ったお父さんがソ連船に拿捕されて帰ってこない悲しい家族の立場から詞を書いてみるね。“ニシン”と“お父さん”、そして暗に“北方領土”の三つが帰ってこない。帰ってきて欲しい思いを綴るね」
と、意気込み抜群です。
 そして3週間後、作詞が完成し今西先生に見せたところ、
 「この着眼点、最高やな。もの凄いエエと私は思う。けど、これをバッチリとしたものにするには、もっと大勢の人間を巻き込まんとアカンから、市民会館の評議委員で、大阪朝日放送の事業副部長やってはる先生がいて、その人は演歌も作詞されてて、元は明治大学のマンドリンクラブで古賀政男先生の鞄持ちもしてはったそうや。その人にチェックして貰ういうことで、朝日放送も巻き込んでいこ!」
と、即座に作戦が練り上がり、善は急げでコンタクトを取り、作詞を見てもらう算段が整いました。そして、西宮市民会館(今はアミティーホール)のレストランに、その時私は多美子さんの付き添いとして赴きました。
 ここで、紹介された先生との出逢いが、我が人生で第4の邂逅になるとは、この時には夢にも思いませんでした。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/