M&Uスクール

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今週の喝 第851号(2021.8.9~8.15)この世は全て催眠だ(592)〜我が人生を決定づけた、素晴らしい光明との出逢い〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(592
我が人生を決定づけた、素晴らしい光明との出逢い

 このコラムを書いていると、私の人生に大きな影響を与えて下さった先生方や、地域の人達のことが、、そして、その人の独特の香りまで走馬灯のように脳裏に甦ってきます。そのほとんどが今は鬼籍に入られていても、私の心の中ではシッカリと生きていて、私に叱咤激励してくれます。
 今、思い出しても、得津武史先生宇宿允人先生を筆頭に、宝塚歌劇団の演出家で1970年の大阪万国博覧会やディズニーランドのオープニングセレモニー、大阪御堂筋パレードの発案及び構成演出など日本の演出家の重鎮である内海重典先生阪急少年音楽隊隊長鈴木竹男先生……この方は、私の母の中学校での担任でもあったため、私のことを「教え孫」と呼んで可愛がって下さいました。そして、西宮少年合唱団の指導者でウィーン少年合唱団に匹敵するハーモニーを醸し出した鎌田廉平先生と、数え上げたらキリがありません。
 そして、最も希有な関係で巡りあうことになる大川創業(元)社長大川進一郎氏も、今のM&U SCHOOL創設の切っ掛けを与えて下さった方です。氏は、ひょんな事で我がヴィエール室内合奏団がモーツァルトの交響曲を演奏可能な状態へのスケールアップ(増員)の時、セカンド・クラリネットのトラ(エキストラの楽団用語)で吹いていた方で、年齢は我が師・宇宿先生、そして我が母・洋子と同じ昭和9年生まれです。ですから、私とは親子のような年齢差です。しかし、残念なことに今年の春に惜しまれつつ他界されました。
 このように、普通で考えれば縁が出来る由もないような方々と深い縁で結ばれ、それが元で私のモノに対する考え方や人生行路を定める起因になった方々が大勢現れたのも、今から考えれば、お互いがいい加減な関係ではなく、真剣に相手を認め見つめ合ったからだと思います。
 また、今も存命ですが、関西学院大学応援団総部吹奏楽部(長い名前です)の卒業生で、最年少24歳という若さで西宮市議会議員に当選した“今西えいじ”先生……此の方とは、超密接な縁で結ばれ、私の人生に多くの光明を与えて下さいました。

 

★★偶然が織りなす“邂逅”がやって来た★★
 弱冠……今では「若者」の意味に使われる言葉ですが、本来の意味は「20歳(はたち)の男性」を指します。その年齢になると冠を授けられ一人前になったことからこの言葉が生まれました。
 私も文字通り、弱冠に師匠にスカウトされ、レコーディングの栄誉まで賜り、それが起因で、先ほど記した多くの先生方と出逢うことになります。この頃(私が大学生)、母校である今津中学校にも得津武史先生の要請もあり、宇宿先生のレッスンの補足授業のような形で、足繁く通っておりました。そこに、得津武史先生が、
 「梅忠、お前も20歳になって選挙権を持っとるやろ。今度の市会議員の選挙では、関学(関西学院大学)ブラス出身の“今西えいじ”ちゅう人が出馬するよって“清き一票”入れたれ!ブラバンの為に一所懸命やってくれるそうやから、みんなにも言うたってや」
と突然のお達しが来ました。吹奏楽の世界は、体育会系より厳しいヒエラルキーで出来ているため、(ここだけの話ですが)絶対に逆らえません。
 そんなこんなで、この“今西えいじ”市会議員が誕生し、その挨拶で、我が中学校にも当選の挨拶に来られました。御年24歳。当時の今西議員はどことなく私と風体がよく似ており、初対面で意気投合しました。
 「今西先生、私は2年前に特待生(吹奏楽部の推薦)で関学に来るようにと当時の吹奏楽部・渡辺部長に言われて、意気揚々としていたところ、あまりにも学業成績が悪いんで推薦で落ちたんです。阪急少年音楽隊の鈴木竹男先生にお願いして、学校に推薦状まで書いてもらったのにアカンかった梅谷と申します。それから、色々な経緯があって、今は大フィル(大阪フィルハーモニー交響楽団)の専任指揮者の宇宿允人先生にスカウトされ、ヴィエールでフルートを吹いてます」
と自己紹介したところ、
 「去年の12月の大阪心斎橋の三木楽器のホールでのバッハやろ。私も宇宿先生からチケット貰って聴いてました。あの時の若いフルートがあんたやったんやね。いやいや、奇遇というのはこんなことをいうねんね」
と本当に“人生は小説より奇なり!”偶然が幾重にも重なり、話が進む内に、我が父・郁郎とも、また「今津音頭」の今津連合福祉会会長浅尾一雄さんとも、非常に懇意であることが分かりました。
 そして、今西えいじさんは初対面の場であるにも関わらず、
 「梅忠サン、私も一年生市会議員。この辺で私のことを支援してくれる“青年部”を作ろうと思てるんで、あんたみたいな運の強い人に協力して欲しいんや。今度の初集会に来てくれるね」
と、有無を言わせない強引さに、私は何か新たなるエネルギーを感じ、参加を決めました。この出逢いが、これ又、大きなうねりとなって私を翻弄してゆくことになろうとは、この頃は夢にも思いませんでした。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/