M&Uスクール

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今週の喝 第846号(2021.7.5~7.11)この世は全て催眠だ(587)〜人生の大敵は有頂天!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(587
人生の大敵は有頂天!

 「君の“精霊の踊り”は騒がしく、それ見よがしで、有頂天になって滑稽に聞こえる。この曲は死後の世界の音楽だよ。音量ではなく、雰囲気的にもっと静かに、もっと高貴に、自分というこの世での“生”の存在をかき消すような音色が欲しい」
 宇宿先生のこの言葉を頂戴したのは、私がスカウトされて10数年程経った30歳を過ぎた頃だと記憶します。
 私は、20歳でスカウトされて以来、“自分”を表現するために、それこそ師である宇宿先生の音楽に対する要望を、執念とも言える根気で応えてきました。そして、また後日話しますが、その間に不思議な縁で作曲することになった私の演歌第1号である「おもいで酒」が想像もしなかった大ヒットを記録し、それが元で一時疎遠になったこともありました。
 しかし、縁の深さは我々人間の想いを遙かに超えた“呼応”があり、その時は既に先生は東京に戻って、ヴィエール室内合奏団に続きフィルハーモニアTOKYOを設立し、定期演奏会を開催していました。この辺りもまた後日……。
 私の20歳代は、宇宿先生が解釈し、その(わざと)あやふやな指揮が、演奏者の自主性を喚起することがハッキリ分かり、何をやっても「OK」をもらう内に、だんだん有頂天になってゆきました。人は、手綱を締めてもらう“師”があってこそ、軌道修正できることを思い知らされた言葉が「君の精霊は騒がしい」でした。
 その時、オーケストラのメンバーの前で言われたことがとても恥ずかしく、自分のことを棚に上げて「個人レッスンの時に言ってくれれば良いのに……」などと、私に対する先生の指示を苦々しく思いました。今振り返ると、それ自体がそれみよがしで有頂天になり、滑稽でオーバーな演奏だったのがよく分かります。

 

★★「無」の心髄はなにか?★★
 私は、師の言うことが理解できなかった訳でも何でも無く、生意気になっていて、人の前では“良い格好”する癖がついていたのです。モーツァルトのコンチェルトはスムーズに練習が進んだその後での師の言葉です。きっとその時、私の顔は今までにないほど紅潮し、“羞恥心”の洪水の中で今迄のプライドがはじけ散ってしまったと思います。師の言葉、
 「もっと静かに、もっと高貴に、“生”をかき消せ!」
という指示は、私の人生を変えるターニングポイントとなりました。
 “もっと静かに”というのは、私の心のザワつきだったのです。スカウトされた頃の「何が何でも師に付き従う」という親鸞上人の法然上人に対する様な“誓い”も、やがて師に対する“慣れ”から、少々“ぞんざい”(ダレ)になっていたのでしょう。周囲の人達は、家族の一員のように迎えて下さる宇宿一家の親しさを羨ましく思っていましたが、それがまた有頂天の引き金になったように思います。まさに「親しき仲に礼儀ナシ!」だったのです。
 そして、今当時を振り返ると、生意気ですが何をやっても“上手く熟(こな)した”ため、有頂天を通り越して「自意識過剰」に陥っていました。自意識は自分の事を省みる心ですが、これが過剰になると、周囲の人間のことばかりが気になり、
 「他人は自分の事をどのように見て、感じているのだろうか」
という完全な“気散状態”です。つまり、「自意識過剰は他人の意識」なのです。ですから、本当は常に“不安”だったのでしょう。それを打ち消すために、ますます練習に打ち込み……と言えば格好良いのですが、その本音は、他人に侮られたくないとか、彼等の前で恥をかいてなるものかといった的外れの汚れた心がその動機でした。それを我が師は、愛情を込めて「騒がしい、もっと静かに!」と表現して下さったのでしょう。
 「もっと高貴に」も、低次元の人間(失礼!)ほど「それみよがし」に他者のことを大切にします。それも、自分がよく見られたいために……。後に、本物の高貴な心を持っている日本を代表する方達に出逢いましたが、その人達は人間としての正しい姿を精魂込めて純粋に表現され、困っている人を助けるのではなく、精一杯邁進している人に寄り添っている姿(類項作用)が、気高く気品に満ち溢れていました。私のフルートも自分自身に向けて自分の理想の音やメロディーをもう一人の自分(それを聞く側の自分)に演奏することを忘れていました。その時、指揮者、オケのメンバー、観客ばかりを意識していました。これは美女がより美しく見せるために分厚い化粧をし、色気ムンムンで異性に近づいてゆくのに酷似しています。正に「過ぎたるは及ばざるが如し!」でした。
 そして、最後の「生をかき消せ!」……これこそ、“色即是空”の極意である、「無」の心髄を問われたのです。文字での表現はとても難しいのですが、私の感じるところでは、
 「何も存在しないのに、その時間と空間にはプラスの気が満ち、その時空の中に身をおくことだけで“歓び”に包まれる」
といった感じです。キリスト教やギリシャ神話が物語る4つの愛「エロス(男女の愛)・フィリア(友愛)・ストルゲー(家族愛)・アガペ(神への愛)」のどれかを心に宿した時、その“歓び”のスイッチが入るような、そんな気がします。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/