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今週の喝 第845号(2021.6.28~7.4)この世は全て催眠だ(586)〜人生体験に無駄はない!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(586
人生体験に無駄はない!

 先週木曜日、宇宿允人先生の長女でヴァイオリニストの由賀里さん(通称:カリちゃん)に招待されて「宇宿允人没後10年スペシャルトーク」のYouTube録画をしてきました。
 宇宿先生の大阪時代を隈無く知り、語れるのは私くらいですから、カリちゃんも「そうだったんですか……!」の連続でした。なにせ、カリちゃんは当時、小学校一年生でしたからね。
 一見、堅物そうに見える先生ですが、私の前では超ひょうきんな振る舞いを見せてくれましたので、コンサートホールの先生ではなくて、人間としての先生像をおしゃべりしてきました。
 それにしても、このコラムを書いている最中にこのような依頼があることも、また共時性の原理です。(残念ながら、カリちゃんは読んでくれていませんでした)。やはり、何かのパワー(縁)が働いているのでしょうね。
 また、編集が完了しましたらお知らせ致しますので、楽しみにお待ちください。。

 さて、収録の時も話しましたが、宇宿允人先生と私(20歳の時)の出逢いは、双方の事情が複雑に絡まって、そこに時間軸がピッタリと合うことで、今の私がいる……この関係性を誰が作ったのかという私自身の問いかけに、坂村真民先生の格言
 「めぐり逢いの不思議に手を合わそう!」
が頭を駆け巡りました。
 私は今日(こんにち)まで、一度も自分の人生に対して無駄はないと信じて生きて来られたのも、全てに於いて結果を出してきたからだと思います。それは、人生の途中で自分がやりたくなくなったり、面倒と思ったり、関係する人達をウザったく感じて中途放棄しなかった(縁を切らなかった)故の産物だと思います。嬉しいことも嫌なことも、自分に降り掛かる事象は全てが自己修正の材料だと心に刻み、何事からも逃げない決意を毎日しています。

 

★★もっと静かに、もっと高貴に、“生”をかき消せ!★★
 さて、私のカルチャーショックは自分の感性と他人の感性に大きな隔たりがあり(やもすれば真逆)、その道を究めた人の感覚の勝利です。音楽でいえば、録音してモニターすれば、私もそのAuthority(権威)とおなじように感じるから不思議です。この事から私は、私の中に何か自分の感覚を邪魔するものがあるのではと考えるようになりました。
 「何が私の感覚の邪魔をしているのだろう?」
この問いかけの答えを得るのに十数年の時間を要しました。しかし、幼少の折、我が菩提寺・海清寺の春見文勝(かすみぶんしょう)老大師
 「般若心経を覚えたら、あんたが好きやった芳枝ばあちゃんの功徳(くどく)になるで」
という言葉がフッと思い出され、それが切っ掛けとなってパズルを解くように「自分vs他者の感覚の違い」が理解できていったのです。
 その切っ掛けは、モーツァルトのフルート協奏曲K314ニ長調を池袋の東京芸術劇場で演奏すると決まり、初練習の時に、宇宿先生が、
 「コンチェルトの後にアンコールで“精霊の踊り”をやるぞ!」
と言うのです。アンコールは、普通はコンサートのプログラムが全て終了し、会場の熱気が冷めずに客がもう少しコンサートを楽しみたいと思ったときに、要望に応えて「もう一曲」サービスするものです。それを先生は、私の協奏曲(プログラムの大体2番目、最後は交響曲など大曲で締める)の後にやるというのです。
 「精霊の踊り」は18世紀の作曲家グルックの作品で、オペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」の劇中曲でフルートの名曲です。そのリハーサルの時です。私は、この美しいメロディーを、より感動的に観客に伝えようと、目一杯感情を込めて情緒たっぷりに歌い上げました。すると、
 「君の精霊は騒がしく、それ見よがしで、有頂天になって滑稽に聞こえる。これは死後の世界の音楽だよ。音量ではなく、雰囲気的にもっと静かに、もっと高貴に、自分というこの世での“生”の存在をかき消すような音色が欲しい」
と、それは大変難しい要求でした。
 その時に、私の脳裏に浮かんだのは、20年ほど前、静かに仏前で眠る祖母・芳枝の姿でした。そして、老大師に言われた「般若心経」の読経が不思議と耳をかすめ、その文字が浮かんできたのでした。
 「無限耳鼻舌身意無色声香見触法無眼界乃至無意識界……」と我が師の音楽に対する要求を聞く間、ずっと文字が見えてきて、やがて「無」という文字の多さに圧倒され、私の心から、あらゆる執着が溶けて流れてゆくような感覚に襲われました。
 それは、感覚を意識し、音楽を意識し、また他のフルート奏者を対抗心から意識し、同年代の演奏家を意識し、その人間達に「勝とう!」としていた雑念の世界の気付きでした。
 この「無」の意味は、一つの境地に入れば、何も意識することなくとも、あらゆることが響き合い、一つの世界が生まれることの発見でした。そして、説明のつかない大きなエネルギーに包まれて、自我や対抗といったつまらないものに捕らわれて、ホンモノを見失っていたチンケな自分に気付き、「私は私!」という、根本的な摂理が私の中で閃めき、目覚めた瞬間でした。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/