M&Uスクール

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今週の喝 第841号(2021.5.31~6.6)この世は全て催眠だ(582)〜私って何だろう……?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(582
私って何だろう……?

 レコーディング・コンサートの翌日のミーティングで、私自身が演奏した音楽の反省を、宇宿先生に素直に言ったところ、先生は私と真逆の感想を私に言うのです。ここまで逆さまだと、意地悪をされているような気分になったので、みんなで昨日の演奏をモニターすることになりました。
 私がたどたどしい演奏だと思った第1楽章は、先生のいうように、滑らず、ドッシリとした演奏でした。「滑る」とは、テンポに乗り損なって自分が心に描いているよりも音楽が早くなり、セカセカしたものになることです。私自身、何か舌(タンキング)と指(フィンガーリング)が緊張のため合わなかったように思っていたのですが、キッチリとオーケストラの8分音符上に乗っかっています。
 そして第2楽章Andanteは、私自身、ソプラノ歌手のアリアの如く上手く歌えたと自負していたのですが、モニタリングでは、やはり先生の言う通り「酔っ払い」の傾向が少し感じられました。いや、酔っ払いというより「俺の演奏は良く歌えて上手いだろう、聴かせてやるよ!」的な傲慢さが感じられ、正直言って“鼻につく”箇所が少し気になりました。
 最後の第3楽章は、「自分を取り戻した!」という軽快さの中にピタリと当て嵌まったリズム感が、もの凄く心地良い演奏でした。本番中は、調子に乗りすぎて「滑っている!」と思いながらも、オケを引っ張っていく“勢い”が心地よかったので、そのままアクセル全開でエンディングに入ったのを覚えています。少しオーケストラより早く、後からオケが付いてくる感じで、先生に注意されるかと思っていた箇所も、先生が「軽快で、君の天真爛漫性が出て良かったよ」と褒めて下さったのが、自分の耳で聴いて確認できました。
 しかしこの時、私は大きな不安に襲われました。それは、
「それじゃ、私って何だろう……自分の演奏を自分の耳でリアルタイムに聴きながらの演奏は、聴衆の耳に届くものとの間に何か異物のようなものが入って悪さをしている。さて、それは……」

 

★★漠然とした不安、そして内省、自己葛藤!★★
 「自分自身が管理しているはずの自分の演奏が、客観的に聴くと思い通りになっていない……これでは一所懸命に練習しても、もしかして間違ったものになるかも知れない……それでは、いつも自分の練習を録音して客観性を持たせなければならないのか?イヤ、コンサートの本番でそんなことできない……(>_<)」
 自分の心の中で、こんな葛藤が起こって
 「もしかしたら、人間というものは、自分自身のことが一番分からないのかも知れない!そうしたら、我が師・宇宿先生の自分の指揮に対する自信は何処から湧き上がってくるのだろう」
と、ますます内省(自己意識について深く考えること)は自分に襲いかかる不安と共に深まってゆきます。
 人間の感覚は「傍目八目」です。それは、「人の振り見て我が振り直せ」の格言にあるように、自分の眼は外界を見ることは可能でも、自分自身の眼を見ることができないのです。またその上に、人は“妬み・嫉み”といったマイナス感情がごく自然に湧き上がってくる歪(いびつ)な生き物です。だからこそ、自分で自分を修正する……私がフルートの練習を“独学”でやってきた裏には、全く見えていない部分や、間違った認識で理解して、それをさも正しいという錯覚に陥り、傲慢な心を育んでいたのかも知れません。
 今から思えば“独学”ほど恐ろしいものはありません。それもその独学で修得したものが、世間に受け入れられたとき、ほとんどの人間が傲慢性によって生意気になり、そして周囲に不快をまき散らします

 ビジネスに於いてもレベルの低い経営者は、「金儲け」が上手いだけでこの傲慢性の悪魔に心を支配され、周囲に不快感をまき散らすのを見てきました。「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行く人は滅多にいません。
 これは、音楽の世界でも同じで、名人級の演奏者がどうしようもないイヤミを抱えている!しかし、演奏技術が勝っているので何も言えない……ここにストレスがたまり、やがて不快感を持った側の心が汚れて行く……そして、「勝てば官軍」的な程度の低い感覚が自分に備わってしまいます。
 良い音楽は、良い人格を持つ演奏者によってもたらされるのが理想です。こんな漠然とした恐怖の中から、私自身、この世で立派に生きて行くということは、音楽の世界で言えば、演奏する(技術)以上に耳(聴く能力)を鍛えなければいけないように、ビジネスでは利潤の追求以上にリーダーの素養を育まなければならないと、後に理解しました。
 その点、私は幸せでした。何故なら、同行二人の如く「師」が側にいつも付いていて下さって、感性的感覚的間違いから、人格的感情的欠点まで、歯に衣を着せず私を修正して下さったのですから……!
(今は良い格好をしてこのように宣っていますが、その頃は、ムカつくことが多くありました……大反省!)

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/