M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第840号(2021.5.24~5.30)この世は全て催眠だ(581)〜何が何でも、やったるで!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(581
何が何でも、やったるで!

 「当たり前」のこと……コンサートには、己の実力を付けるための克己練習(我が師匠はEvery day every nighit Exerciseが口癖で、私達は“エグイデー、エグイナー”と言ってました)、そして聞いて下さる方々(聴衆)をファン(定期会員)にする努力バランスの取れた両天秤の如く、安定していなくては不愉快な風が吹きイヤな空気が漂います。
 私の初レコーディング(シュターミッツ:フルート協奏曲ト長調)のコンサートはまさに、血を吐くような練習(大袈裟ではありません)に明け暮れ、万全を期して臨んだものの、ホンマにアホでした……チケットを皆さんに買って貰うのをコロッと忘れていたのです。練習に没頭しすぎて“集中”ではなく“固着”(一つに凝り固まり、周囲が見えない)に心がなっていたのです。
 今、当時を振り返ると、若い時というのは、アホだけれども素晴らしい!それは、次の日に、宇宿允人先生宅に楽員みんなと後援会長の側垣雄二(そばがきゆうじ)先生(当時:西宮市教育委員長)、そして熱烈なファンの社長方、盛田貞代マネージャーが集まり、反省会がひらかれました。その席で先ず、
「これからのギャランティーは、しばらくの間、チケット料金の半分をそのプレーヤーのものとする!」
ことが、決まりました。つまり、チケットを売らなければギャランティーもナシ!という単純なものです。
 そして、後援会長の側垣先生は、
「あんたらに、こんな過酷な目ェにあわせて申し分けない!後援会ももっとシッカリ活動するから、くじけんと頑張ってヤ……!」
と力強い言葉と、輝く目で私たち楽員に“気”を送ってくださいました。その時、昨日の惨憺たる人数でのコンサートが、逆にモチベーションを喚起し、「何が何でも、やったるで!」という勇気に変わり、楽員の団結が一層高まった実感を今でも覚えています。

 

★★世紀の大発見「傍目八目」に出逢う!★★
 コンサートの反省会後、私は自分の演奏についての個人的な反省と思いを、楽員のみんなの中で述べました。
「先生、昨日の私の演奏ですが、第1楽章Allegroはたどたどしさが取れずに申し訳ありませんでした。しかし、第2楽章Andanteは、今までになくオーケストラの細かい音まで聞くことが出来て、気持ちよく歌えたと思います。そして、第3楽章のRondo Allegroは、ブッ飛ばし感が出てしまって、粗っぽくなりました。反省しています」
と、自分が自分の演奏に対して感じたことを言いますと、先生は、
「私は真逆に感じたよ。第1楽章はあの(速い)テンポにもかかわらず、ドッシリした演奏だと思った。しかし、第2楽章は、“歌う”ことを意識しすぎて少々酔っ払いのようだった。そして、第3楽章のあのスピード感は、君の音楽性と技術、そして天真爛漫な性格がマッチして、とても愉快な演奏だったよ」……(T_T)
 このように、一つの演奏でも実際に笛を吹く側と指揮者として聴く側では、「ホンマかいな?」というくらい、正反対の感覚なのです。この頃は、私も少々生意気になりつつあった時期なので、
「先生、どうしてこんなに吹く側と聴く側では感覚・感性が違うのでしょうか。昨日の演奏をモニターしながら教えて下さいませんか」
と食い下がりました。そして、日本ワールドレコードの靱(うつぼ)ディレクターの渾身の録音を楽団員みんなで聴きました。
 自分が演奏した(吹いた)ものを自分の耳で聴く……その結果は、我が師の指摘の通りでした。吹く側と聴く側の感性は、何故、真逆なのか……?大きな問題を突きつけられたのです。先生は、
「君は、自分の声をテープレコーダーに録音して聞いたことがあるか?その録音の声を聞いて、君はどう感じた?……」
「ハイ!小学6年生の時、校内放送部に所属しアナウンサーの真似事をして、初めて自分の声を録音して聞いたとき、もの凄く変な声に恥ずかしくなり赤面したのを思い出します」
「それは、何故だと思う?……自分の声を自分の耳で聴くときには、声帯から出た声が自分の頭蓋骨を伝って自分の鼓膜に届くのと、空気を伝わって耳に届くのが合成された声なんだよ。してみれば、君が聴いた君の声と他者が聴いている君の声はどちらがホンモノなのか……?」
この問いかけが、私の人生を正しい方向に導いてくれる切っ掛けになったのです。そうです。自分流とは自分の感覚の中に余分な媒体(この場合は、自分の頭蓋骨)がある故、それを取り去った感覚こそ“ホンモノ”の感覚なのです。これは、「声」のみならず、「心」を震源地とする「感情・感覚・感性」すべてに余分なものが侵入してくる示唆となりました。
 自分の演奏も、自分よりも聴衆の耳の方が余分な感性を排除している分、まともなのです。正しく「傍目八目」の発見でした。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/