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今週の喝 第834号(2021.4.12~4.18)この世は全て催眠だ(575)〜「無我夢中」を初めて体験!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(575
「無我夢中」を初めて体験

 人生には、キヨブタ(清水寺の舞台から飛び降りる)の決断をしなければならないことが、2、3回起こります。これは何も、その決断内容にあるのでは無く、その時期、その人間の器量以上の「決心・決意・決定・決行」に至るプロセスに対して、勇気が出るか出ないか、またその勇気が“正氣”から生まれたか、“邪気”に依るかで、人生に益になるか、損失かが決まります。
 京都、河原町三条の十字屋三条店の店頭で楽器の試奏をしていたときは、まさか世界に冠たる村松フルート製作所製ハンドメードフルートのオーナーになるなど、夢にも思いませんでした。まさに「出逢い!」……これぞ神の思し召しである“共時性”としか言いようのない“事象変革”が起きたのです。
 あの時、日本を代表する「管楽器修理の神さま」的存在国原東雲さんが私に声を掛けてくれていなければ、私のキヨブタ決断は成されなかったでしょう。また河合さんが、ハンドメードを提案してくれなかったら……。
 そして、何が何だか分からないまま、私は十字屋から京阪三条に向かって歩いていました。そして、当時では本当に珍しいTVつき特急に乗って、次の行き先・大阪天満橋に向かっていました。その当時、私が80万円もするフルートを誰の承諾も無しに注文し、また真っ直ぐに家に帰らずに、中之島の東端にある天満橋に向かっていた……これは、無意識の為せる業「無我夢中」でした。
 天満橋には、商業の町の中心的存在である大阪マーチャンダイズマートビルがあり、そこの3階に礼服の特注品を作る店がありました。ヴィエールでチェロを弾いていた西幹夫さんが、
 「問屋だけど、丁寧にお願いすれば、こっそり燕尾服を一着でも作ってくれるかも。それも、卸値でね。梅忠の説得次第だよ……!店名は“ソーシャル”ね」
と教えてくれたのです。そうです!百貨店で注文すると、当時ですら30万円は下らないコンサート用の燕尾服一式を買いに来たのです。

 

★★奇遇や奇遇!は連続して起こる。★★

 ヴィエール室内合奏団のチェリストであった西幹夫さんは私より5歳年上で、私同様、音楽大学には縁がなく、趣味でチェロを始めた方です。しかし、私との違いは、西さんは京都大学工学部を卒業した秀才で、家業(確か工務店?塗装業?)を継がず、京都大学音楽部交響楽団(通称:京大オケ)で宇宿先生に定期演奏会の指揮をお願いしたことが縁となって、ヴィエールで演奏するようになりました。(後に、同楽団のビオラ奏者と結婚します)
 こうしてヴィエールの成り立ちを思い出すと、清水次郎長率いる「清水一家」のように、曰く因縁のある人達で構成され、一人一人に夫々のエピソードがあるバラエティー豊かな室内オーケストラでした。
 少し話が逸れますが、ある日、神戸元町のとある喫茶店で、マエストロとコンサートマスターの松永みどりさん、チェロの西幹夫さん、そして私の4人が次のコンサートの打ち合わせをしていたとき、クラシックのBGMが流れていたのを、マエストロが
 「あの演奏はダメだ!耳障りだよ」
とボソッと言ったのです。すると西さんは、何も言わずにチェロのケースからドライバーとニッパーを取り出し(入っているのが不思議でした)、私に目配せして喫茶店の店員がいないのを見はからって丸椅子を二段重ねに、天井のスピーカーの蓋を手早く開けて断線し、音を出なくしてしまいました。これは明らかに器物破損罪です。
 そして、マエストロは静かな環境で打ち合わせができたことを、西さんに礼を告げ、散会となりました。その後、西さんは
 「梅忠、もう一つ、仕事よろしくね」
と私を助手に、切ったスピーカーケーブルを元通りにして、その喫茶店を静かに去りました。それは「スパイ大作戦」の工学の達人バーニーを見ているようでした。凄い人がいるものだと感心し、お互いを認め合う終生の友となりました。
 さて、話を燕尾服のソーシャルに戻します。私が恐る恐る店を覗いていると、眼鏡を掛けた(当時)35歳くらいの女性が
 「何かご入り用ですか。でも私どもは問屋ですから、一見(いちげん)さんとはお取引できませんが……」
と、こちらが何も言わない間に、切り口上でたたみ掛けてきます。そこで、
私は、自分の置かれた実情(プロにスカウトされたこと、交通事故の慰謝料が入って来たこと、今日楽器を購入したことetc.)をあらいざらい告げると、
 「よう分かった!」
と今迄の丁寧な語調が急に船場言葉(大阪の商売言葉)になり、
 「アンタ正直な人やなぁ。気に入った!最高の燕尾服を作ったるから、任しとき!さ、こっちにおいで。採寸するで……」
といって、手際よく私の身体の採寸をし、当時流行っていたパンタロン風に少し裾を広げたデザインにすると一人で総て決めて掛かるのです。しかし、気になるのはデザインより燕尾服一式のお値段です。私は恐る恐る
 「あの~!」
と言うと、私に次を喋らせず、パッと名刺を私に渡して、
 「私の名は福島祥子(さちこ)。ここの販売主任よ。気にしてんのんは値段やろ。阪急やったら定価30万チョイやけど、アンタのこと気に入ったから一式10万円でええわ!」
と、何も言わせず商談がまとまりました。それから、福島祥子さんとはそれは長いお付き合いになりました。そして、我がオーケストラの団員の礼服は西さんが紹介してくれた天満橋ソーシャル(今はありません)の福島さんが総て引き受けてくれたのです。しかも、“原価”で……!
 
     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/