M&Uスクール

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今週の喝 第831号(2021.3.22~3.28)この世は全て催眠だ(572)〜「潜在意識」とは……〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(572

「潜在意識」とは……

 潜在意識……私がライフワークとしている研究です。英語ではSub consciousness。直訳すると「潜っている意識」となりますが、ここで誤解されるのが「意識」という言葉です。そこには、「意志」によって動くように思いますが、潜在意識は意志とは関係ありません。端的に言うと、「機能」と理解して下さい。そして、その機能は“一定の法則性”によって働きます。ですから“意識”というよりも“法則”と考えた方が正しくて、理解しやすいでしょう。
 この事に気付いたのは、私がFlute(楽器)との出逢いがあったからです。楽器は一つのメカニズムですから、楽器が私たち人間に合わせてくれることは絶対にありません。我々人間の側から楽器の機能(システム)に合わせる以外に習得はできません。
 しかも、楽器(歌手は身体が楽器)は音楽を奏でる道具ですから、楽譜を追い(眼)、自分の音とアンサンブルする相手の音を聴く(耳)と同時に、ズレが生じれば修正しなければなりません。その時、口や腕・指は適切な動きによって最善のコンディションを維持することが肝要です。その上に、自分が置かれている“場”雰囲気を覚知するための嗅覚(鼻)も研ぎ澄ませておかなくては、感性が鈍くなってしまいます。
 このように書くと、至極大変なことと思いがちですが、「案ずるより産むが易し!」、人間はやればできるように(神によって)作られています。その機能は、ひとたび修得すれば(回路ができて)無意識化され、自動的に反応する様になっています。それが、サイコ・サイバネティクス(目的志向型自動機制)で、アメリカの整形外科医、マックスウェル・マルツ博士によって発見されました。習得と修得の違いは、「習得=意識のレベル」で、「修得=無意識の領域」と考えれば良いでしょう。つまり、
 「潜在意識とは無意識の領域に我々の活動を刷り込んで、同時に我々の持つ五感六根を適切に機能させる“装置”」
と理解して下さい。

 

★★笛を吹く意味……?★★

 我々の人生に於いて、“成長”すると言うことは、自分自身の脳(司令塔)や身体(実施機能)に、その人間の目標や目的、また願望や理想実現の回路を作り出し、それを修得(無意識化)することを指します。
 先にも申しましたが、潜在意識は機能(メカニズム)ですから、我々(顕在意識=意志)が、潜在意識に合わせるしか成長はありません。そこで、その心構えややり方が潜在意識(法則)にそぐわないとき、人間同士なら“言葉や動作”でコミュニケートできますが、潜在意識は“苦”をもって知らせてくるのです。ですから、「苦を乗り越える」とは、「正しいやり方を修得する」ことです。そして、その“苦”は、法則から外れたときに生じます。法則は、それが我々個人であれ、大宇宙であれ、全てが単純なものからできており、その組み合わせによって全てが成り立っています。その原初にあるものが“バランス”です。バランスが崩れた時のアラームと、それを整合化して正しい姿に戻そうとするエネルギーこそ“苦”なのです。
 従って、苦から逃れる手段はたった一つ。“苦”の原因を究明することから始めます。それは、単純に自分の側の修正ですから、如何に今自分が対峙格闘しているContentsと違和があるかを調べ、そのものが持つ波動(Vibration)に自分が同調できるかを試行錯誤で探り、見つけたならば、徹底して反復練習して「習得を修得へ」もってゆくことが肝要です。つまり、反復練習とは、そこに“時間”をかけないと潜在意識のサイコ・サイバネティクス(自動制御装置)は働きません。この時間こそ、大宇宙が我々にもたらすバランスに次ぐ重大要素なのです。適切な時間を費やすことで、私たちはそれを習熟し、“自分”の一部に組み込んだとき「修得」が完成して、その人間の威信威光、また自信となってゆきます。それは透明水彩で描いた絵のように、塗り重ねれば重ねるほど“深み”が増します。この深みこそ、“波動”の根源です。ですから般若心経が物語るように、私たちは「眼耳鼻舌身意」の六根全てが“波動感知装置”なのです。つまり、私たち生き物は「進化論」の著者ダーウィンが、
 「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。」
と述べたように“適応”こそ最大の“成長”の糧です。そして、大宇宙のあらゆる法則は、シンプルなものの組み合わせで成り立っていますから、一つ修得すると「一事が万事!」、次から次へと潜在意識が無意識化して我々の性質に組み込んで(修得して)ゆきます。
 傲慢な人間は、ダーウィンの言う「適応」ができないのです。楽器を例に解説していますが、自分の意のままに操れるようになった人は、そこに一つの「法則性」があることを覚知すれば良いのですが、演奏が上手くいったところで満足感に支配され、そこで成長がストップしてしまいます。
 白隠禅師「大疑団・大信根・大憤志」を欠いてはならないと喝破するように、私たちは常に自分のやっていることに疑問を持ち、その回答はやがて自分の内側から湧き出てくるという確信の下、それを究明して行く強い意志を持って何事も推し進めてゆくことが肝要なのです。
 従って、あらゆる物事の「修得」は、それが終着駅ではなく、スタートラインであることを認識する心構えが、成長を「大成」へと導くのです。私はこの確信の下、今日も笛を吹き続けています。
 
     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/