M&Uスクール

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今週の喝 第829号(2021.3.8~3.14)この世は全て催眠だ(570)〜知らない間に「自観法」を修得〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(570

知らない間に「自観法」を修得

 今振り返ると、私が21歳になった1月から、桜の散る頃までの約4ヶ月は、我が人生に於いて最もフルートの練習を重ねた時期でした。朝は午前7時に起きて8時から12時までの4時間を、基礎練習の最も退屈なロングトーンとソノリテ(音階や分散和音が滑らかに演奏できる為の練習)に費やしました。
 そして、午後からは、それまで演奏してきた楽曲(バッハやチャイコフスキー)をしっかりとお復習(さら)いし、暗譜することに執心しました。そして、次に今度のコンサートで演奏する「シュターミッツ」の練習に大体午後6時くらいまでやり、夕食後(これも簡易なものしか食べなかったように記憶しています。音楽に集中していたので食べ物はどうでも良かった時期でした)午後7時から10時までは、自分が次に演奏したいと思う曲の「譜読み」。そして「フレーズやパッセージ」の訓練に励みました。
 その時も、私は残念ながら“フルートの師”との巡り逢いがなかったため、そして、当時は大きなオープンリールは持っていましたが、手軽な録音機がなかったので、モニターして自分の欠点を修正する手段がありませんでした。これは至極重要なことで、猛練習に次ぐ猛練習をしても、その方法や手段が間違っていたら、「悪い癖」が猛練習によって定着し、死活問題になりかねません。
 私が教則本とした“ソノリテ”の見開きページには、
 「ピアノの高い音を鳴らすと“キン”という音がして、低い方の鍵盤は“ドン”という音色です。しかし、その半音隣(となり)の音色は私たちの耳には同じ音色に聞こえます。フルートも高音は“ピー”、低音は“ボー”と全く音色は異なりますが、半音隣の音は区別が付かないように演奏するのが大切です」
こんなことが書かれていて、クロマティック・スケール(半音階)を最低音のC(ド)から、3オクターブ上のC(ド)まで、16分音符で駆け上がる練習は、ソノリテが見事に修得できていれば、素晴らしい安堵感と感動を聴く人達に与えます。
 私は当時、誰も聴いてくれる人が居らず、また自分でモニターする事も出来ない状況にあったので、このソノリテの前文がヒントになって、なめらかなサウンドを体現するために、先ず、想像力を用いて完璧なクロマティックスケールをイメージして(そのお手本はランパル先生のレコードから耳に焼き付けました)、「もう一人の自分」を想像の中で“眼前の師”として、自分のフルートの音色を聴いて貰っている様子をイメージしました。今から考えると、我がSCHOOLで伝えている成功の為の敷設である「自観法」を、知らず知らずの間に実践していたのです。
 
★★楽器を持てば、誰しも「多重人格」!★★

 私たちは、手足や耳目(じもく)が自分自身であるにもかかわらず、それを意のままに操ることがなかなか出来ません。楽器の練習は、端的に言えば「眼耳鼻舌身」の五感覚器官を一つの「心=意」でどのように統括し、“自分”が思っている演奏に近づけるかです。しかし、「笛を吹いている自分」「聴く自分」では全く別人なのです。NHK素人のど自慢を見ても、「なんであんなに下手くそな人が多いのか」と思いますが、彼等は必死になって上手く歌おうとしています。しかし、喉と耳が一致していない故、何をやっているのか分からなくなってしまうのです。そこから、プロとは、
 「自分の演奏を、自分の耳でしっかり同時モニター出来る人」
と私は結論付けました。
 精神疾病で「ドッペルゲンガー(二重人格・多重人格)」というのがありますが、私たちは楽器を持てば一目瞭然にドッペルゲンガーに陥ります。つまり、やっていることがチグハグであるにもかかわらず、それをチェックできないのです。ですから、師の存在は“必須”なのですが、これもその師の感性が悪ければ、その悪い癖を植え付けられかねません。まさに運命は「出逢い」が大きく作用します。私は、幸いにもマエストロにスカウトされましたが、雲上の人ゆえ、「気軽に」チェックをお願いすることなど出来ません。そこでハタと考えが浮かんできました。それは、
 「自分の音を自分で聞けないなら、素晴らしい耳を持っている人に聴いて貰えば良い!」
と考えたのです。“素晴らしい耳”を持つ人の条件を求めると、「私が感動し、また、私と同じように考え、模索している人」ということに気付きました。そして、私の周囲を見渡すと、そうです、凄い人がいたのです。浅井芳子先生です。
 浅井先生は、私のフルートの演奏(練習)を聴いて、
 「あなたは、なぜ宇宿先生の言うことをすぐに体現できるの?」
と、初めて出逢った日にフルーツパフェをご馳走してくれた方です。この言葉から、「“耳”は理解している」ことは確かです。つまり、私の音楽をチェックできるのです。また私も傍若無人に、浅井先生に「この様にしたら……!」などと偉そうなことを言っていました。つまり、人間は他者のことは「傍目八目」なのに、自分の事は全く分からないのです。
 後に気付くのですが、我々の感覚器官は「眼耳鼻舌身」の五感ですが、それを理解処理する「意=心(脳)」は一つであることが原因です。従って、人の音楽を聴くときは五感(眼耳鼻舌身)全部を傾注できますが、自分の演奏では、眼は楽譜を追い、耳は演奏を聴き、舌(口)や身体は、楽器と格闘しています。そして、鼻は周囲の雰囲気を嗅ぎ分けているのです。
 こうして、浅井先生にシュターミッツのオーケストラパートの演奏をお願いして、私の笛で気が付いたところを“教えて”貰いました。
 さて、ここで要注意!それは、吹く方、聞く方の仲が良くなければ、心が中々素直になれず、おかしな方向にいってしまいますので、ご用心!
 今回書いたことは、楽器練習のみならず、全ての芸術やスポーツ、そして、会社経営やあらゆる共同事業も同じです。この頃は、未だ明快ではありませんでしたが、ボチボチ般若心経の「無眼耳鼻舌身意」の意味するところに私が近付いていったように思います。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/