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今週の喝 第826号(2021.2.15~2.21)この世は全て催眠だ(567)〜“為せば成る為さねば成らぬ”心は、師の背中から……!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(567

“為せば成る為さねば成らぬ”心は、師の背中から……!

 「先生、いつも“今週の喝”をありがとうございます。とても人生の励みになります。しかし、先週号にあった『目論見なしの行動』は、頭では理解できますが、本当にそのようなことが可能なのでしょうか……?」
 先般、このような素直な質問が私どもに寄せられました。人間という生き物は霊長類(脳が著しく発達した哺乳類)であるが故に欲望を特化させ、その所為で「気が著しく散る」のです。私はオーケストラ時代、“カミソリ梅忠”とか“ライオン梅忠”とあだ名されていました。その真意を周囲に尋ねたところ、
 「ライオンは、自分より大きな獲物『ヌー』であれ、ごく小さな『コマネズミ』であれ、決して気を抜かず全力で捕獲する
ことによるそうです。また“カミソリ”の異名は、
 「ただ鋭いだけではなく、気に入らなければ切り捨てることをいとも簡単にやってのける
ところから、みんなが言い出したそうです。はなはだ、不名誉な意味から来ていますので余り自慢にはなりませんね。
 しかし、良いところを見ると、物事に対する“完遂能力”に秀でている表現であることは間違いありません。しかし、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」ですので、今では反省をしていますが、どう感じられるかは皆さまに委ねます。
 さて、先ほどの質問にお答えしますと、まさに私のあだ名“カミソリ・ライオン”と言われるが如く、目標はたった一つに搾り、そこに脇目も振らず全力投球して行く……その時の行動指針に「裏事情や目論見」など全くなく、ただひたすらその目標に向かって渾身の努力を傾けて行く性質を、師匠・宇宿允人先生、そして、恩師・得津武史先生の背中から刷り込まれたのです。
 多感な、12歳からの十数年間をこのような環境で過ごしたことが、私の観念に上杉鷹山の座右の銘「為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」を自分の実践価値として修得したのだと思います。

 

★★人の性格は「環境・制度・編成」で決まる!★★

 以前にも申しましたように、私は子供の時は「アカンタレ」「泣き虫」「病弱」でした。但し、お婆ちゃんやお母さん達にはシッカリと(良い意味で)甘やかされて、大事にされて育ちましたので、「人の愛」だけは人一倍多く貰ったように思います。その分、父・郁郎は私に大きな期待を抱いていた所為もあって、時々ぶつかりましたが、いつも私の負けでした。それが、中学生になって吹奏楽部の門を叩いたとたん、イヤな先輩の虐めも吹き飛ばすくらい音楽を奏でられる歓びで心が沸き立ち、イヤなことがあると自分の心に自分が求める音楽の歓びを“想像力”によって喚起し、それをバネに忍耐を養って来ました。
 そして、多感な中学生時代に目標はただ一つ“日本一”に吹奏楽部全員が勇猛果敢に挑んだことも、滅多に体験できないことでした。そして、一番重責を担った3年生の時の全日本吹奏楽コンクール仙台大会の敗退は、これまた、私の心に闘志の炎を燃え上がらせたのです。まさに私の子供時代は「人間(じんかん)万事塞翁(さいおう)が馬」を地で行く体験をしました。
 今から振り返ると、まさに私の心が師匠方の心と共振したように「必要なときに必要な師が現れた」のです。この頃より、私は「念ずれば花開く」という言葉こそ未だ知りませんでしたが、まさに心では徹底して“ライオン・カミソリ”に向かっていたのだと思います。そして、得た結論は、
 “人間が本来持つ『目論見』よりも強い目標があり、そこにキッチリとした目的意識(何のために)があった”
つまり、ライオンのように手加減を知らない、格好良くいうと「一心不乱」、悪く言うと「アスペルガー的」に、何事にも立ち向かう性質が、私の置かれた環境(出逢い)から刷り込まれたのです。
 総ての生き物の心には、その意志や欲求の“強弱”がありますが、それはもちろん持って生まれたDNAに依存するような才能的境地もあるでしょうが、進化によって脳を発達させた生き物は、周囲から受ける“影響”が大きな要素となるのです。
 現に、我が町今津の皆さんには申し訳ない話ですが、私の子供の頃は「掃き溜めの町、文化果つる地・今津」と自虐的に言い、周辺の人はあまり近寄らなかった地域に、一人の偉人(もしかしたらアスペルガー?)得津武史先生が赴任すると、一気に“吹奏楽のメッカ”となったのです。人間はその環境から多大な影響を受け、そこに制度が加わり、その上に人間関係(編成)が大きな要素(エネルギー)となって“出逢いのバイブレーション(波動)”を引き起こすのを自ら体験しました。そして、「その波動が、共時性を起してその人間の思念の方向に人生の駒を進めて行く」と確信するようになりました。
 現在、我がM&U SCHOOLでは、神や仏を宗教的見地ではなく科学的見地から解説していますが、その神の為業こそ「時間(Time)と法則(Right)を司る霊的な存在」と定義づけるところまで研究が進みました。そして、あらゆる物事の推移を計ってみると、
 「共時性の原理(=タイミングが合って事象が起きる)が働くと、その人間の“意志のパワー”が湧き出し、それが“望んだ事象”を誘発する」
のです。
 仏教学者の坂村真民先生「念ずれば花開く」とおっしゃったことを、科学的検証の中から私は感じ取りました。ですから、目論見という“気散の権化”は私の心から霧散してくれたのでしょう。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/