M&Uスクール

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今週の喝 第823号(2021.1.25~1.31)この世は全て催眠だ(564)〜なぜ私が起用されたのか……?〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(564

なぜ私が起用されたのか……

 今、想い返してみると、私の二十歳(はたち)代のスタートは、「傍若無人」の文字がピッタリの幕開きでした。それは、偉大なマエストロにコンサート終了後、
 「今日の私の演奏が良かったなら、もう一曲コンチェルトをやらせて下さい!」
と、よく言えたものです。その前からジックリと根を下ろし、真摯にマエストロの音楽を習得しようと地道な努力を重ねている楽員の方々を差し置いての申し出なのですから……。しかし、この頃の私は、そういった社会性など眼中にない、全く以て世間知らずの“アホ”でした。
 そして、その結果が半年目にして宇宿允人先生から、自分が申し出たコンチェルト(シュターミッツ作曲フルート協奏曲ト長調)のレコーディングを賜ったのです。
 数年経って、私も少しは社会性というものを感じるようになった頃、マエストロに
 「こんな生意気な態度の若造に、楽団の命運を左右するレコーディングをどうして委ねたのですか?」
とその時のことを尋ねたところ、
 「楽員のみんなは、真面目で素直な者達だけど、それでは音楽という情緒表現は出来ない!音楽には、何があっても“私がやる”という意気込みがなければダメだ。それに、君も感じたようにステージには“上がる”という凄まじい悪魔が住んでいる。それと共存しようとする積極的な根性がなければ、悪魔に取り憑かれて終わりになる。
 確かに、君は傍若無人だった。だからこそ、もっと恐ろしい過去に痕跡が残るレコーディングをやらせたんだよ。そして、それを乗り越えるには、その作曲家に対する畏敬の念と、楽器に対する執念、そして“素直な態度”が感動を呼ぶことを知っている。だから、他の楽員も君の態度と勇気に、逆に目を丸くしていたよ」

 

★★楽器ほど如実に心を反映するものはない!★★
 何はともあれ、私は中学1年生の時に感銘を受け、これも又々傍若無人に楽屋まで尋ねた“ジャン・ピエール・ランパル”先生のレコードを買い、ランパル先生自身が作曲されたカデンツァ(独奏部分)を聴音(聞き取り)し、万難を排した練習に入りました。
 私は、楽器に巡り逢えて良かったとこれほど感じた時期はありません。それは、自分の“心”がこれほどまでに如実に反映されるものは他にないからです。心が迷えば技術も覚束なくなり、満足感が消え失せ焦る心が自分全てを支配してきます。ですから、上手く演奏できないときこそ、
 「練習することで必ず克服することが出来、その達成感と充実感が自分の心を歓びで満たす。そして、それを聞く人の気持ちを高揚させる」
と信念化し、完遂し克服している自分をイメージしました。それでも、不安を拭うのは並大抵のことではありません。そんな時、夢枕にマエストロが立って、ニコニコ笑顔で眺めているのです。私は、ハッと気付きました。
 「上手く演奏しているところをイメージするだけではなく、私の側で自分が一番信頼し、その人が居なければ今の自分が存在しない人=マエストロのを感じれば良い。そして、舞台に住まう“上がる”という悪魔は、実際は自分が創り出している創造物かも知れない。それは、自分が観客に対して“良い格好”をしようとするときに顔を出すから、原因は自分なのだ。よく考えてみれば、我が師匠が“良し!”と言えば、観客は素人故、何も恐れることはない!いつもの練習と同じように、我が師一人の前で笛を吹けば良いのだ」
と、本来一番大切にしなければならない観客を蔑ろにしたような結論に達したのです。三波春夫さんが「お客様は神さまです」と言ったことから考えれば邪道の極みかも知れませんが、自分を克服するには、日夜を問わない練習と、その演奏を信念化するための確固たる大黒柱(マエストロ)だけを見ることに決めたのです。
 こんな考えに至って、心に刻み込もうと反芻していた時、又々宇宿先生の個人練習の日です……この時も不思議や不思議、浅井芳子先生も同じくレッスンに来られていて、オーケストラの部分をピアノで弾いてくれました。そして、途中休憩の後、宇宿先生は何気なく、私たち二人に、
 「コンサートで上がるのは、気が客の方に散っているからだよ。彼等は確かにチケットを買ってくれて私たちにはなくてはならないけど、こと音楽を感じる感性は持っていても、どうすればそれが良くなるのかといった手法は全く分かっていない。それが素人だよ。私たちがプロであるには、絵画でも感動するだけではなく、どうすれば感動する絵が描けるかの秘密を知っていることが大事なのだ。だから、傲慢かも知れないが、君たちは私がOKと言えばそれで良いと思いなさい」
 何と、私が夢の中で“失礼かも知れない”と思いながら想起したことを師匠の口から直に聴いたのです。まさしく「目的のためには手段を選ばず」の心境を教わったのです。
 それ以来、少々歪んでいるとは思いましたが、私はマエストロだけが聴衆であると真から思うようになり、「上がる」という悪魔によって心が揺らぐことはなくなりました。
 それは、人は信じられる人を一人もって、“その人を大黒柱として信頼すれば良い”という観念を修得したのです。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/