潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる
潜在意識ってどんなもの?
この世は全て催眠だ(563)
「恐ろしさ」を思い知った5ヶ月
今年(令和3年)1月16日に、私は古希(69歳)を迎えました。12歳でフルートを手にして以来、57年間笛を吹き続けておりますが、その中で自分自身が満足できた演奏はどのくらいあったのかを振り返ると、背筋が凍ります。
失礼ながら申し上げますが、コンサートを聴きに来て下さった方々からは“絶賛”されても、自分自身の感性では許せない事も屡々で、今現在も笛との葛藤は自分自身との葛藤であることを再認識します。
日蓮聖人が信者達に諭し続けた言葉
「心の師となるとも、心を師とせざれ」
これは、仏教の六波羅密多経(ろっぱらみったきょう)の一節で、大要は「自分の中にはもう一人の自分(心)が住まう故、それに振り回されるな」という意味です。この言葉通り、自分の中に二人の自分(本来もっと多いのでしょう)が存在することに気付く切っ掛けが、宇宿允人先生にスカウトされて5ヶ月目にやって来ました。
12月のバッハ「管弦楽組曲第二番ロ短調」の演奏を機に、自己の思いと周囲の反応が両立しなければならないことに気付かされ、そして、また自分でありながら“上がる”という自分の心に住まう悪魔との戦いをチャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」で教えられ、そこから“失敗を笑いで誤魔化している”内は、成長がないことも思い知りました。
そして、多くの演奏家との共演から、自分の身体の中に“自分が理想とする明快な自分”を重心として置いておかないと、それこそAccidentが起きたときに、狼狽してしまうことも知りました。それを克服する方法は、たった一つ「その曲を知りきる!」こと以外ありません。その為に、私は徹底的に指揮者になってその音楽をリードするくらい、その楽曲のスコア(総譜)を勉強し、自分のパート・フルートのみならず、全てのパートを研究して動じない己の心を作る必要性を感じ取って行きました。
従って、この頃コンサートに出たギャランティーは、次の楽曲のスコアを買う費用に全て消えてゆきました。その「おつり」は、私の脳にキッチリとそれらの楽曲が「記憶」として今も残っていることです。
★★入団半年足らずにして大抜擢!★★
そして、21歳になった4月に、私がマエストロ宇宿允人先生に詰め寄って勝ち得たカール・シュターミッツ作曲「フルート協奏曲ト短調」のコンサートが近づいてきました。3月のコンサートが終了すると同時に、いよいよ私のシュターミッツの個人レッスンが先生宅で始まりました。
この曲は、モーツアルトと同時代の作品で、ユニゾンのフォルテ(ハーモニーのない斉奏)で始まるイントロが特徴です。超有名なモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の前奏がその代表です。シュターミッツは、マンハイム楽派の立役者で、明るく軽快な1楽章、フルートの音色を遺憾なく発揮して作られた美しいAndante(ゆっくりと)で書かれた2楽章、そして、最後の3楽章は再び軽快なAllegro(速く)のロンド(巡る)です。
バッチリと練習し、マエストロがどんなテンポで指揮しようとも動じず、絶対について行くと心に決めて掛かりました。
第一回目の先生宅での個人レッスン時、またまた“偶然の一致”が起こりました。初めて先生のお宅に伺ったとき同様、浅井芳子先生が自分のコンチェルトの最終仕上げのレッスンに来ていたのです。
そして、初レッスンの時と同じく、パッとシュターミッツのピアノ譜(オーケストラの伴奏をピアノ一台にしたもの)を渡して、練習がスタートしました。この時代のコンチェルトの1楽章は、主題提示部をオーケストラだけで演奏し、一段落して展開部からソロの楽器が装飾音を交えて華やかに活躍します。やはり、浅井先生のピアノは的確なタイミングで要所を押さえて演奏するので感動です。しかし、自分が思っていたテンポよりもマエストロの要求するテンポはかなり速く、それに負けじとばかり気合いで展開部を吹きましたが、それこそ「自分の心」が優先してしまって、頗(すこぶ)るたどたどしい演奏だったと記憶します。反面、第2楽章は思った以上にゆったりとした指揮(Largoに近いテンポ)に面食らいました。
そして練習終了後、マエストロから突然、
「今回のこのフルート協奏曲とチャイコフスキーの弦楽セレナーデの2曲を、ヴィエール室内合奏団の初めてのレコーディング曲目にしようと思うが、やれるかね……!」
という投げかけがありました。
まだ自分の楽器も持っていない私に、突然レコーディングの話です。その話を伺った私は全身の血がたぎり、恐ろしいまでの闘志とエネルギーを感じました。それこそ、ジーンとしたしびれにも似た感覚が脳や指先に走り、「マエストロについてゆきさえすれば、必ず出来る」という神の声がどこからともなく、しかしハッキリと聞こえてきました。
「ハイ!やります。やらせて下さい」
気が付いたときには、私の口はこのように回答していました。
ヴィエールには専門教育を受け、それこそ素晴らしい技術を習得した方々が数多(あまた)いる中で、何故私に白羽の矢を立てて下さったのか……そんなことが脳裏を去来する間もなく、私は敢然とシュターミッツのレコーディングを兼ねたコンサートに心はシフトしていました。
後に師匠は楽員みんなに、
「音楽はね、上手い下手より大事なのはその作曲家に対する畏敬の念と執念、そして、最後に“素直さ”が感動あるものになるんだよ」
と説いていたのが今は懐かしい思い出です。
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/