M&Uスクール

潜在意識の有効活用を教える学校”M&Uスクール”のサイト

今週の喝 第824号(2021.2.1~2.7)この世は全て催眠だ(565)〜“縁”は不思議な求心力でその存在を示す!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(565

“縁”は不思議な求心力でその存在を示す!

 気が散ることによって“客”を意識し、自分の心に「良い格好」をしようとして、自分の心であるにもかかわらず、その心を統御できない……まさに、自意識過剰に陥ったために「自分の意識」が「他人の意識」に左右されることを21歳の私は思い知りました。
そして、その克服法は自分が尊敬し頼れる“権威”に全身全霊を傾けることのできる人物に出逢うことでした。
 仏教の世界では、迷いや惑いの世界の無窮動(むきゅうどう)(終わりのない世界)から脱するためには、二つの道が用意されているとあります。
 その一つは“縁覚界(えんがくかい)”で、自分が能動的に一つのことを求めて道を選ぶと、そこに苦難や失敗が横たわり、それを一つずつクリアすることで“真っ直ぐな道”を自分自身の体験から見いだす世界です。
 そして、もう一つは“声聞界(しょうもんかい)”で、求めた道に対して師匠やそれに準ずる知恵者が現れ、教えを乞うことの出来る世界です。
 人間の気付きは、能動的で有る限りこのどちらかで目標とすることに対する縁(関係)が生じ、目指す道に自ずから向かいます。私は、その思いから、縁覚界によって宇宿允人先生との出逢いを頂いたようです。
 これまでに述べてきたように、宇宿先生の置かれた境遇、真の音楽を求め、師を求めていた神戸女学院出身のヴァイオリニスト達、日本一への挑戦に少々マンネリズムが出だした我が母校・今津中学吹奏楽部の得津武史先生、そして、音楽への情熱に燃えていたけれども、目指す世界が分からなかった私など、考えて見れば、多くの糸が一つに結ばれるべくして結ばれたように、ヴィエール室内合奏団に集結した感がありました。
 縁とは誠に不思議な求心力のエネルギーを持っていますね。

 

★★脇目もふらず、熱望せよ!★★

 私にとって師匠・宇宿允人先生との出逢いは、千載一遇……その意味通り、「千年に一度めぐり逢うほどの、またとない機会」でした。そして、その出逢いは、自分の中にあるもう一人の自分の存在に気づき、大きく軌道修正するチャンスがやって来たのです。そう「緊張による上気=上がる」ことへの挑戦でした。
 私の気付きの第一歩は、浅井先生(Piano)や松永先生(Violin)のように、素晴らしい学校で多くの先生に教えてもらっていないことをコンプレックスと捉えるよりも、「迷いのない環境に置かれている」と感じたのです。自慢じゃありませんが(といって自慢話をするのはいけないことでしょうが)、私は専門的音楽の指導を受けたのは終生、宇宿允人先生只一人でしたから、当初よりマエストロの言うことを、私はスポンジが水を吸うように全て吸収してゆきました。それは、私の才能というより、“置かれた境遇”といった方が妥当だと思います。この辺りは、生意気なようですが、「法然と親鸞」の出逢いとよく似ています。
 私が宇宿先生を“唯一”の師とできた裏には、中学校での「マイスタージンガー」冒頭の“ヴァ~ン”という大迫力の指揮が脳裏から離れず、私の潜在意識から“感動”を呼び覚まし、夢の中にまで追いかけてきたことです。そして、やがてその感動は、“尊敬”へと変化し、私の心の奥底で自分自身が同じ感覚を持てるようになることを無意識に願っていたのだと思います。今では、そんな熱い思いが私と師匠をめぐり逢わせたのだと確信しています。
 仏教学者の坂村真民先生「念ずれば花開く」と謳(うた)われた裏には、この無意識性が必要なのではないでしょうか。無意識とは、意識に上らないのではなく、意識しなくともその事を熱望する熱き世界と現在(いま)は認識しています。こんな感覚から、我がSCHOOLの名称をM&U SCHOOLとしたのも「MU=無(意識)」だからです。
 また、ディズニー映画「ピノキオ」のテーマ「星に願いを」の星は、コメット=流れ星です。そんな瞬間に願いなど掛けられるはずがありません。さすれば、逆説的に“ずっと願い続けている”(=無意識になる)時に、流れ星が流れたなら納得できますからね。ですから、自分の願いを実現化するには、無意識の領域にまで達して思い続ける“執念”ともいえる「念願」のエネルギーが必要なのです。
 今思い返すと、私は心底自分の感性をブレずに理解してくれる人を求めていたのでしょう。それが、我が師の思いと共に共時性が働いて、“出逢い”となったと信じています。私はこの師との出逢いを契機に、念ずる(思う)というエネルギーの存在に気付いたのです。そのエネルギーの強弱は自分自身の都合と事情ではなく、「心からその事の達成を願うかどうか」にあることを感知しました。
 多くの人間は楽と得を無意識に求めて人生の舵を取っていますが、それこそ、「堕落の原因だと気付くための試金石」のように思います。人は、求めたものに、ただひたすら進めば良いと古希(満69歳)を迎えて結論を得ました。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/