M&Uスクール

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今週の喝 第816号(2020.12.7~12.13)この世は全て催眠だ(557)〜逆にモチベーションの糧になった〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(557
逆にモチベーションの糧になっ

 ひんやりとした夕暮れの冷気を感じるこの季節になると、私のプロフェッショナルとしての初コンサートの事が思い出されます。いち早く会場に到着したことによって、主宰者側と宇宿先生との私の起用に関しての言い争いを聞いてしまい、本来ならば意気消沈といったところでしょうが、私も得津武史先生の下で海千山千の修羅場体験がありましたので、私の心は逆に燃えさかるのでした。これはいけないことだとは思うのですが、私の目に焼き付いた大阪労音の主査や三木楽器の支店長の顔から、正しく孫子の兵法「敵を殺すは怒なり!」の如く、敵愾心が湧き、バッハを演奏する前とは思えないほどに闘争心で満たされておりました。頭の中では、
 「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ!」
と、つい先日読んだ「坂の上の雲」の一節が思い浮かび、コンクールに出る寸前の舞台袖の待機状態のような心持ちでした。
 そして、ゲネプロが始まり、その時、客席の最後列に陣取ってその練習模様を観察していた、主宰者側の二人が目に飛び込むと、益々Fight!が心の奥底から湧いてきて、モチベーションは最高潮に達しました。
 そして、私の楽曲の後、モーツァルトの「ディベルティメント」、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」、アンコールのバーバー「弦楽のためのアダージョ」と順調にゲネプロは進み、イチャモンを付けてきた?二人も、見る限りその演奏の出来映えに満足げでした。
 「アカンタレ忠洋」で生まれ、人一倍気の弱い性格の私が、「新世界交響曲第4楽章」のメロディーに感化され、親や先輩の障害を乗り越えてきた私の人生の一区切りが、今始まろうとしています。不思議と「上がる」感覚は全くなく、出走前の競争馬のように、早く本番を迎えたいという思いが身体中に満ち溢れておりました。

 

★★ハッと気付いた「音楽は誰のモノ?」★★

 20歳(はたち)も終わろうとするこの日のことを振り返ると、凡そ音楽の源流と言われる大バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)の中でも最高の位置に輝く名曲「管弦楽組曲第二番ロ短調」を演奏する心持ちではなかったように思います。
 いくら、立ち聞きで私のソリストとしての起用を訝(いぶか)しく思っている人間がいたとしても、闘争心や自分の名利が先行して、このような名曲を演奏する栄誉や、その音楽を作った作曲家に対する尊敬はもちろん、憧憬の欠(かけ)片(ら)もなかったように思います。そんな全ての成り行きと私の感情を察知したのでしょうか、宇宿允人先生は私を指揮者室に呼び、一言、
 「私と一緒にバッハの偉大さを聴衆に知らしめよう!」
 この時、私の心に引っかかっていた“素人気質(かたぎ)”がポッキリと折れ、
 「音楽とは自分の為のものではなく、聞きに来て下さる人達と共にいなければ何の意味もない」
と心の奥底で、誰か、何かが叫ぶのです。それも本番まで後10分の時に!
 その年の11月中頃に、先生から連絡を受け、鴨川河川で今中魂(最悪の条件の下で、出来るまで止めない。)ともいうべき練習方法によって比叡颪(おろし)に向かって笛を吹き続けたことや、音楽に傾注する余り大学受験を全て失敗したこと、また今日のコンサートのチケットを快く買ってくれた盟友で今津音頭の作詞をした西村光照君の言葉に反抗したこと、また私が音楽に向かうことをことごとく反対した父・郁郎のこと(今宵のコンサートには来てくれています)など、嬉しいこと、また恥ずかしい思い出が、走馬灯のように甦ってきました。最後に私の脳裏に浮かんだのは、我が家の菩提寺である海清寺住職の春見文勝老大師が、
 「全部、アンタの人生やこの会場にみんな来てくれてはるやろ」
と私を諭すように語りかけてきてくれたように感じ、闘争心や功名心で崇高なる大バッハを演奏しようとしていた“私”の思い上がりを木っ端微塵に吹き飛ばしてくれました。
 余談になりますが、3日前の練習で、マネージャーの盛田貞代さんが、
 「皆さん、今度のコンサートは女性は白黒、男性は黒蝶」
ですと言った意味が分からず尋ねたところ、男性の衣装は黒のスーツに白シャツと蝶ネクタイという意味だったのです。その時ハッと気付いたのは、私は黒のスーツなど持っていません。とりあえず、阪急百貨店に黒の蝶ネクタイは買いに行ったのですが、3日でスーツは仕上がりません。そこで、私の体型とよく似ている父の会社の営業担当の足立一男さんにお願いして礼服を借りたのですが、ウエストと股下の寸法が全く合いません。そこで、ズボンは学生服のモノをはき、上着のみ借用した礼服を着ました。その時初めて知ったのは、礼服と学生服では、材質が全く違うのです。そして黒は黒でも若干色目も違います。しかし、観客はそのようなチグハグな借り物の衣装でプロの初舞台を踏んだとは思ってもいなかったのでしょう。誰も気付かなかったようです。
 更にもう一つ、その日のコンサートで私が演奏する楽器は、高校入学と同時に得津武史先生が、西宮市吹奏楽団に入団するように私のために買い与えて下さった、市からの“借り物”のムラマツ製のフルートでした。
 世の中の数多(あまた)いる演奏家の中で、自分の楽器を持たずに初舞台を迎えたのは、もしかしたら私くらいではないかと懐かしく思い出します。

 

     この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/