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今週の喝 第801号(2020.8.24~8.30)この世は全て催眠だ(542)〜重要なことは「感動」!〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(542
重要なことは「感動」!

 この「今週の喝」も、毎週書き続けて800回を重ね、多くの皆様から、その継続に対してお祝いの言葉をたくさん頂戴いたしました。誠に有り難うございます。
 続けようなどと思って書いてきた訳ではなく、私が出逢い、偉業を遂げた方々の足跡を後世に伝えたいという思いで、猪突猛進書き続けた結果です。読者の方から指摘がなければ、気付いていなかったでしょう。今回801号から、更に気合いを入れて執筆いたしますので、どうぞよろしくお願い致します。

 さて、宇宿允人先生に、吹奏楽コンクール兵庫県大会で4位という屈辱的成績を点けられた得津武史先生は、何が悪かったのかを教わるべく我が中学校に宇宿先生をお招きして、レッスンを受けました。
 そこで、目の当たりにしたことは、生徒達をグイグイ引っ張って行く得津先生の指揮法は、生徒は只「それについて行けば良い」という安心感の上にあぐらをかくため、生徒達が奏でる音楽に能動的な迫力が欠けていることを指摘されました。中学生といえど、自ら「この音楽を演奏するゾ!」という意気込みを出せば、人の心を感動に導く凄まじい気迫が生まれる……宇宿先生は指揮棒一本でその雰囲気を作り出し、そして生徒達は自らの精神でその音楽を演奏しようとしたのです。
 スパルタ教育で超有名な得津先生について行くのですら“大変”の極みですが、それ以上に45人の能動性で、一致団結して自らアンサンブルを形作る心意気を出すことは、そこに得津スパルタ方式とは大きく違った要因があったのです。
 それは、“音楽を演奏する歓び”でした。リズム・メロディー・ハーモニーという音楽の三要素を、指揮者の指示によって合わせるのではなく、自らの耳と演奏技術によって形作ってゆく時の「歓び」は、単に“嬉しい”というような感覚ではなく、全身全霊から湧き出てくる“感動”そのものでした。 

 

★★一か八か“ぶっつけ本番”!★★

 演奏する者に“感動”がある……それこそ能動性のたまものです。それまでの今津中学は、得津先生の指揮の下、一糸乱れぬ統率された美しさに満ち溢れておりました。しかし、宇宿允人先生、いや、私が中学3年生の仙台での屈辱を味わうことになった山田一雄先生も、私たち今津中学校吹奏楽部に伝えたかったことは、音楽という人の情緒を揺り動かす芸術を創造する能力(技術と統率性)を持ち合わせるが故に、「もったいない」という気持ちから、それはまるでお灸を据えるように低い得点とされたのです。つまり、この両先生は音楽を得点で判断する吹奏楽コンクールの“基準”に真っ向から反旗を翻された「天才」だったのです。
 音楽はスポーツではありません。演奏する側とそれを聞く側に、感動と最後に残る笑顔を予感させるものでないと、芸術ではありません.こんな考えに私が至ったのも、私が20歳の8月最後の日の宇宿先生による我が母校でのレッスンに依ります。
 凡人から見ると、天才の考えなど全く理解できるものではありません。しかし、誰しも“感じる”ことは出来ます。得津先生に、私が卒業してから、「何故、天ぷら棒によるスパルタ教育をするのか?」と、尋ねたことがありました。その時の先生の回答は、
 「言うて聞かせようとしたら、頭の良(エ)ェ奴だけがついてきよる。ブラバンは45人で一つの楽器にならんとアカン!その為には、ドタマ(頭を関西弁でガラ悪く言うとこのような表現)の良(エ)ェ悪いにかかわらず均一にするのは、言葉やない。天ぷら棒の一撃から来る痛さや。アホもカシコも痛いもんは痛い!わしゃ軍隊でそれを感じ取った」
 すごい感性です。こんな感性の持ち主であるが故に、私は吹奏楽コンクール関西大会の3日前の朝(午前6時頃)に、私はストレートに得津先生に、宇宿先生が言わんとしたこと、それを私が如何に解釈したかを伝えました。
 「先生、宇宿先生はHow to do.(方法)ではなく、How to be.(在り方)と言いたかったんやと思います」
すると得津先生は困惑した顔で、
 「ほな、どないせい言(ちゅ)うねん」
 「誤解せんと聞いて下さい。指揮をせん(しない)ことです。生徒に指示を与えないことです。先生の練習に嫌というほど付いて来た彼等の技量と音楽に対する情熱に期待して任せてみて下さい。そやから、先生は自分の頭(脳裏)で、自分の理想の音楽を奏(かな)で、それに合わして指揮棒を適当に振らはったら良いんです。それは、もちろん打ち合わせも何もせんとやる訳やから“不安”の極致かも知れませんけど、きっと宇宿先生がおっしゃった音楽の心、迫力が出ると思います。しかも、これは3日後のコンクールの本番当日にぶっつけでやるんです。もしかしたら、音楽がグチャグチャになるかも知れません。そうなったら関西大会で敗退です。それでも、私は彼等に掛けたいです」
 「梅忠、解った!おまはんの言う通りにするよってに、それまでの練習は、あんたがつけてくれ。ワシがやったら安全な道を選んでしまうよってにな!」
 私の申し出は、得津先生にとってまさに「青天の霹靂」であったでしょう。この時、得津先生の情熱は、「コンクールに勝ちたい」から、感動と笑顔をものにする「良い音楽を演奏したい」に変わった瞬間であったと思います。
 私が得津武史先生を没後38年が経過しても、未だ尊敬の念が失せないのは、このひたむきで純粋な精神が感銘の光明(ひかり)を放ち続けているからです。
 これは、一般の会社運営に於いてもまったく同じだと思います。後日私が29歳で大阪市の「なにわあきんど塾」の講師になった時、「命令のない能動的な会社作り」をテーマに丸一年間講話したことに繋がってゆきます。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/