M&Uスクール

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今週の喝 第800号(2020.8.17~8.23)この世は全て催眠だ(541)〜人間にとって最も困難な「固定観念の打破!」〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(541
人間にとって最も困難な「固定観念の打破!」

 人間社会にとって、最も難しいことは何か……?
それは、コミュニケーションだと思います。コミュニケーションはその人間が持つ固有の観念で相手の意図を図ろうとしますので、下手をすれば、何処までいっても理解できない状態が続くことがあります。よく「文化の違い」といわれますが、これもコミュニケーションの根底に横たわる、その国、その地域、その時節、その歴史、その教育などの上に立脚している、それぞれの文化が固定観念を招くことで起こるのです。
 よく巷の経営コンサルタント達は、「固定観念の打破!」を謳っていますが、彼等の思考形態も別の視点から見ると
 「固定観念の打破!と言えば、一般の経営者はそれがどのようなことかが理解できないので、彼等の思い通りになる」
故、それをうたい文句にしていることが往々にしてあります。
 本当の「固定観念の打破!」は、それこそCulture Shock(自己の行動や考え方の枠組みを与える文化とは異なった文化に接した時に受ける精神的な衝撃)を受けて、自分ではどうすることもできない状態になった時、心の奥底(潜在意識)からそれが“必要だ”と感じなければ、Motivationは発揮されません
 真の「固定観念の打破!」とは、自分が自分の観念(生まれ育った環境等によって培われた、自分が信じる世界)を打ち砕き、それを再構築することですから、容易に事は運びません。我々凡人の根底には、凡人六原則の「私は正しい」という誤った信念が横たわり、これが我々を立志させているのですから癖が悪い!しかも、「自分が正しい」と思っている観念を自分自身で“ぶっ潰す”など、常人にはできそうもありません。
 ヒンドゥー教ではシヴァ神(破壊の神)によって為されると示されているように、“外部のパワー”が加わらないとそれは到達できないのかも知れません。

 

★★Culture Shockこそ天の声!★★

 “外部のパワー”は、どこからもたらされるのか?……それは、求める心の強さによって成されると、私は今迄の自分の人生を振り返って“信念化”しています。
一曲の音楽との出逢いが、「美しいなぁ」とか「あんな風に演奏できたら良いだろうなぁ」などと“思う”だけでは、その外部のパワーは働きません。「何としても、自分が演奏する」「あの曲を超えるような音楽を作りたい」という意気込みが必要です。
 20世紀後半から社会心理学的見地から発達した「願望実現」の科学も、「潜在意識に透徹するまで、心に刻め!」と喝破します。潜在意識とは無意識の世界ですので、“自分”という範囲を超えたところに「願望」が存在しなければなりません。私の研究では、「欲望」という“自分”の範疇の中のエネルギーでは“外部のパワー”はやって来ません。心の底からその事を欲する「欲求」のレベルにパワーアップしたときに、潜在意識の科学にある「集合無意識」“意志の力”が到達して「邂逅(かいこう)」を招くと私は結論付けています。
 “邂逅”とは、「運命を変える出逢い」のことです。外部からやって来るもの凄いパワーとの出逢いこそ、ヒンドゥー教が“シヴァ神”(破壊を司る神)を神格化した大宇宙の摂理なのです。キリスト教のマタイ伝にも「求めよ、さらば与えられん」と有るように、神に祈り求めることで神は正しい信仰を与えて下さると喝破しています。つまり、潜在意識の叫びとでもいう「欲求」が肚の底から湧くような情熱こそ“信仰”なのです。

 さて、話を得津武史先生に戻します。先生は宇宿先生の指揮ぶりに心底感動したのですが、得津先生が音楽学校で学んだ時期は、まだまだ日本においてはクラシック音楽の黎明期(れいめいき)でしたので、演奏にせよ指揮にせよ、まだまだ“方法”を模索した時代でした。そこで教育を受けた得津先生は、
 「音楽とは、リズム・メロディー・ハーモニーを合わせてキッチリ演奏すれば完成する!」
と叩き込まれていたのです。そこに宇宿允人先生の出現です。宇宿先生は、
 「それらは基礎に過ぎない。気迫・情熱・自ら率先して感動を求める心があって、はじめて人の心にコミュニケーションを投げかけ、相手の心をも揺さぶる」
ということを自らの指揮で私たちに示したのです。まさに父兄も生徒も先生もこのような感動の世界があることを思い知らされました。まさに、脳天をたたき割られるようなCulture Shockを受けたのです。
 それからが得津先生の素晴らしさです。本来なら生徒の前で、全く上手に指揮できなかったのですから、ふて腐れたり、なげやりになってしまうものですが、先生はよほど感動したのでしょう。どうしても「あの様な指揮法をマスターしたい」という蠢動(しゅんどう)が心を揺さぶったのです。
 そして、私が得津先生に宇宿先生が示された指揮法を伝える内に、「何かが足りない!」……それは、土台がシッカリしないところに家を建築しているようなイメージが湧いてきたのです。もちろん、私も宇宿先生と同じように指揮が出来ただけで、そこに土台は全くありません。猿まねです!
 その時、私の脳裏に浮かんだことは、
 「How to do.(方法)ではなく、How to be.(在り方)だ」
という声が聞こえてきました。そして、私は勇気を持って得津先生に切り出したのです。それは吹奏楽コンクール関西大会の3日前のことでした。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/