M&Uスクール

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今週の喝 第788号(2020.5.25~5.31)この世は全て催眠だ(529)〜民主主義よ、さようなら⁉〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(529
民主主義よ、さようなら⁉

 土曜日に大阪の街を少し歩いてきました。緊急事態宣言解除後初の一日で、いつもよりは少ないものの大勢の人がマスク姿で、ショッピングや食事をしている姿があれほどまでに清々しいとは、逆の意味で
 「コロナ災禍も良いものだ」
と感じました。日常の活気が「良いもの」と感じるのですから、人に降り掛かる厄災は、厄災自体に対する対処もさることながら、日常への気付きをもたらしたことに、とても大きな意味があると思います。
 この災禍で、大阪府の吉村洋文知事(44歳)は、国の曖昧な政策にしびれを切らし、独自の基準「大阪モデル」を提唱して、それによって「新型コロナウイルス緊急事態宣言」の解除基準を設け、それに兵庫県・京都府も追随して、まさに関西連合の感を呈してきました。
 しかし、"自粛"と言っておきながら、それに反したパチンコ店の名を公表するなど、弁護士資格を持つ吉村知事の暴走も見受けられます。それはそれで、大阪人は公表されたパチンコ店に本来とは違う意味を見いだし、500人の行列ができたのですから面白いデスね。しかし、その後がいけません。そのパチンコ店に脅迫状が届くなどの「魔女狩り的犯罪傾向」の増加が見受けられました。また、報道もそれら脅迫状の送り主を見つけ出し、匿名でその意図をインタビューしているニュース番組がありました。その解答は、「ちょっとした正義感!から」ということでした。そして、その匿名性から、現在「ネットリンチ」的事件が起きてきています。それも、正しいと自分自身が思ったならば何をやっても良いという傲慢性のあらわれです。
 府知事も府民も、「正義」の為なら法を犯しても実行するという考えは、今回のコロナ災禍が民主主義をもぶち壊す原動力になりかねないという、危うさを秘めていると感じます。

 

★★出逢いを「邂逅」へと昇華させる力を持て!★★

 こんな中、私の周囲では、私の通った今津文教保育園の初代園長で大関酒造株式会社元社長・11代長部文治郎先生が、3月8日に93歳で逝去されました。また、私が寺総代を務めさせて頂いている西宮・海清寺の蒼龍窟(そうりゅうくつ)加藤月叟(げっそう)老大師も4月30日に私と同い年の68歳で逝去されました。もちろんコロナウイルスでの死亡ではありません。
 御両名とも、私の潜在意識に透徹し、リーダーとして、また“男”としての在り方を指し示して下さった大切且つ印象深い方々です。葬儀には何があっても参列したかったのですが、このコロナ騒動の所為で、献花のみで叶いませんでした。ここに、昨年末に旅立たれた我が盟友で初代心華寺塔頭(たっちゅう)の斯波最誠和尚を含め、私の人生に大きな衝撃と生き様を示して下さった巨星が三つも落ちたことに、未だ心の穴を塞ぐことができません。
 もちろん世の中は、悲しいことばかりではありません。去り逝く者が居れば生まれ来る者が居るのも世の倣い、我が親愛なるピアニスト・武田直子さんに長女・明音(あかね)ちゃんが誕生しました。とても指の長い赤ちゃんで、将来は素晴らしいピアニストを目指すと、私は信じております。

 出逢いと別れが交錯する我々の人生に、過去には「戦争」、そして今の「コロナ」と色々な事象が、荒波が小舟を翻弄するように災禍として降り掛かってきます。先回も書きましたが、人間はそれら災禍を自分達の力で駆逐しようとしますが、そこから得られる教訓やそこに潜むメリットを見いだそうとする人間はほとんどいません。
 アクティビティ6月号に掲載しましたが、歌手のリア・ソコル「ありがとう・コロナウイルス」を作詩して、我々の人生に降り掛かる厄災と思われる事象にもそれなりの意味(raison d'être)があることを我々に心血を注いで述べています。
 人生の出逢いの中には、「邂(かい)逅(こう)」(=人生を変えるような出逢い)があります。私はこのコラムを通して、各々の人生に於ける“出逢い”は、自分の心にある感性(感じ方・考え方)によって紡ぎ出されることを、読者の皆さんに伝えたいという思いで書いています。そして、どんな素晴らしい出逢い(邂逅)にも、必ず“別れ”という悲しい終焉があることも思い知らされます。
 お釈迦様は、悟りの第一に「苦集滅道」を感知し、そこに生じる“苦しみ”にこそ悟りのエッセンスが隠されていることを、我々に伝えてくれました。ですから、今回のコロナ災禍もそこから来る、肉体的、経済的、また心理的抑圧にも大いなる意味があり、それを覚知した者に次世代のリーダー権を託そうとしているのではと私は感じています。
 それには、厄災から逃げては何も感じません。今こそ、我々の心の中にある科学的探究心を喚起させ、お釈迦様の説く「原因と結果の法則=三世両重の因果」を方程式として、我々のこれからの人生行路図としてゆかねばなりません。
 コロナ災禍の間に、私の人生に多大な影響を与えて下さった三名の心の盟友が旅立たれましたが、毎日、その方達と思いの中での対話を交わしています。本当に不思議ですが、その対話の中から、これから先に進める人生のヒントが、まるで曲を作るように湧き出てくるのです。
 人との出逢いは、そのもの自体が重要なのではなく、その出逢いで自分自身が何をどのようにどう感じるかが大切なのです。つまり、“心の在り方”そのものが、出逢いに対する「態勢」を決定します。従って、何事も相手任せにしていては、この態勢は脆弱なものとなることでしょう。
 私は、多くの人に
 「あなたは自分の運命を信頼していますか」
と、問いかけますが、その真意は、
 「あなたの身の上に起こる事象を、有効に自分の人生の糧として活用する用意がありますか?」
と、問いかけているのです。
 今迄、このコラムで話してきた、我が町や母校、そして、その周りにいる多くの方々との出逢いを、自分の人生に役立つものと信じて生きることが大切です。ですから、今起きているコロナの厄災ですら、リア・ソコルさんのように、自分の人生に欠かせないものにしたいと思っているのです。

 

       この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/