M&Uスクール

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今週の喝 第783号(2020.4.20~4.26)この世は全て催眠だ(524)〜ちょっと考えてみましょう その2〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(524
ちょっと考えてみましょう~その2

 コロナ禍パンデミックの中で私たちは右往左往し、大嵐に翻弄されています。私たちM&U SCHOOLは常々、
 「全ての事象は摂理通りに推移し、絶対に例外はない」
と言って参りました。
 そして、全ての事象に意味があり(raison d'être)、その1パートが人間であると考えると、今迄のあらゆる報道や政府をはじめとする判断、また我々庶民の選択が、果たして正しいのかどうかが見えてきます。多くの医学者が恐怖をあおり、今を耐え忍べと、さもコロナ禍を悪いもののように叫んでいます。こういう書き方をすると、多くの方が反感を持ち「悪者」にされてしまいますが、私は敢えてゲシュタルト見地から皆さんにこのコロナ騒動を見て欲しいと思うのです。
 今、私は各地のヒューマンソフト研究会で、「般若心経」を仏教とは違う観点(科学的観点)から皆さんに、その解釈をお伝えしています。科学的観点とは、一言でいえば“矛盾のない世界”であり、論理的納得がゆくものです。座禅和讃にも、矛盾のことを“戯論(けろん)”と表現し、言葉遊び(戯れの解釈)、辻褄の合わないことであると、白隠禅師は喝破しています。「戯論の払拭」……これを為すには、徹底して双方向からの視点や考え方が必要です。我々を襲うコロナ禍も、コロナを創り出した側の視点から見ることがとても重要です。孫子の兵法にも、「彼を知り、己を知れば……」とあるように、双方から見れば、今とは違う視点が生まれ、意外に新しい解決法が存在するかも知れません。
 こんな考え方を阻害するのが、我々の潜在意識に潜む“認知バイアス”で、これは人間(自分)の側に立ってのモノの見方です。
 私たちは、今迄学んだ藤田東湖の「正気の歌」にあったように、諸悪が蔓延するとそれを修正する力(正気)が働くことを歴史的事実で学んできました。しかし、現代社会は当初から「コロナ=悪」という観点から離れておりません。まさに片面固持の至極です。般若心経には総てのものは“不垢不浄”……つまり、悪いも善いもないと断言しています。さすれば、コロナは“善”をなすための何らかの意味を持っている、些か宗教的ですが、それは人間が「悪に加担しているから」といった見地も成り立ちます。

 

★★真の「防御」を試行錯誤せよ……!★★

 世の中はコロナに対して、色々と分かったように錯覚し、TVのコメンテーターはじめ政治家までもが、知ったかぶりをしているように“対策”を喋っておりますが、それは現状に対する“対処”であって、根本的解決には全くなっていません。神奈川県医師会長の菊岡正和先生が、
 「この新しい未知のウィルスに、本当の専門家はいません」
と豪語するように、どんな性質でどのようにして生まれ、何をすれば我々人間が勝利できるのかといったことは何も分かっていないのです。ならば、私が常々SCHOOLで伝えているように、実存するのは“摂理=法”そのものです。法とは“神”……この世を成り立たせる根本的なエネルギーで、それが司るのは「時間・法則・バランス」です。

 神(天)は聖書や仏典などあらゆる宗教書に記されているように、我々人間に多くの試練を与えてきました。このパンデミックも、そこに粗密があり、それをじっくりと見るとやはり正しい生き様をしている者たちと亡者と化した者たちではその被害に差があります。

 宗教的表現をすれば、今度のこの災禍は、
 「神が地球のバランスを取るため、我々霊長類である人間の行き過ぎを諫めるためのものであり、生き様の修正を促すための所業」
と考えると、合点がいきます。
 このコロナ禍が過ぎ去ったときに、コロナ以前と同様の人間関係や社会システムが再現されるかというと、私は到底無理だと思います。今でも、エゴイズムに溢れた人間達が自分に災禍が及ばない限り、適当で身勝手な発言や行動をし、他者の苦しみなど何処吹く風と似非正義の旗を振りかざしています。これは完全にアンバランスです。このような観点から、私は、
 「コロナは、神が我々人類にその生き方の修正を求めるための使者」
だと考えます。ですから、決して逆らってはいけませんし、また逆らいようもありません。捉え方を変えれば、コロナも人間も両方とも神の創造物です。何のために神はこのように相反するものを作ったのでしょうか。
 科学はこのコロナの弱点を見つけ出し、必ず克服する知恵を湧かせることでしょう。しかし、それまでに多くの犠牲者が出ます。これも、聖書の「ソドムとゴモラ」のように、神の意志(摂理)だと思うのです。その粛正の中に、私自身が含まれるやも知れません。
 世間では「手洗い、マスク、3密の禁止」と多くの対処法が叫ばれていますが、それでもクラスターが収まらないのは、それを「正常性バイアス」によって破る人間がいるからです。
 私は提案します。コロナは良きにつけ悪しきにつけ(不垢不浄)、神(天)が使わした我々人類への警鐘だと思います。同行二人……私たちは常に側に仏さまがいると思って立ち居振る舞いをする必要があります。あの冷酷なアウシュビッツの中から、フランクルは“態度価値”を発見し、
 「アウシュビッツは、我が人生の卒業試験であった」
と悟りを啓いたのです。ですから、コロナが神の使者であると考えると、ただ法則通りに存在するコロナに対して、神であれ人であれ、摂理(法)は平等に作用する故、私たちはそこに活路を見いだすことは必定!
 我々の生命は、政府も会社も保証してくれません。今こそ、我々人間が強欲(Greed)から離れて、神と一体化した素晴らしい社会を構築することを、現在の隔離された生活から学ばなければなりません。人間は、「人と触れてはいけない」ことから「人とのふれあいの素晴らしさ」を学び「不要不急の外出禁止」から、自由の有り難さを学ぶのです。
 さあ、自分のことのみ考える強欲な“低我(ていが)”を、この災禍から気付き、各々の霊体を“魂”へと昇華しましょう。その為にも、コロナの性質をシッカリと習得し、逃げるのではなく、先ずは“共存”できる態勢を心に作り出すことを心掛けると、自然な形でコロナは消滅すると私は思います。ですから、我々が今為すべき事は、自分達の生き様に対する反省です。これこそ、真の“防御”だと私は確信します。
 
この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/