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今週の喝 第779号(2020.3.23~3.29)この世は全て催眠だ(520)〜人は無意識に周囲より多大な影響を受ける〜

潜在意識の大活用・あなたが変われば全てが変わる

潜在意識ってどんなもの? 

この世は全て催眠だ(520
人は無意識に周囲より多大な影響を受ける

 「今津音頭」の作曲は、私の人生にとって子供時代との決別の詩(うた)でした。弱冠(二十歳)にして、才能や能力、修練だけでは物事は成り立たないことをシッカリと教えてくれました。
 そこに携わった方々を現在(いま)思い返すと、全ての人が私の人生に関与してくれたことが思い返されます。
 町の顔役である浅尾一雄さん我が父・郁郎が、私に白羽の矢を立ててくれなければ、この事象は起きていません。その矢の要因を作ってくれたのは、私のフルートの後輩で、行進曲「以徳報徳」の作曲依頼をしてくれた中西昌文(ポンタ)君です。高校時代に勉強そっちのけで和声学や対位法、編曲法にのめり込み、気がつけば“落ちこぼれ”になるまで音楽に熱中したのもこの要請が有ったからこそ、ここまで心の炎が燃え盛ったのです。
 そして、私が憧れたにも関わらず不合格だった関西学院大学に見事に入学を果たし、私の尻を叩いてくれた西村光照(現在は森田姓)君……彼がいなければ、この今津音頭はこの世になかったと思います。その理由(わけ)は、通り一遍の作詞ではなく、私に「言葉の韻律」が如何に感性を刺激する重要な役割を与えるかを教えてくれたものだったからです。
 音頭というと「ハァ~」で始まる俗称「ハァ小唄」の形式を取らず、音源を聴いてもらえれば分かるように、「さあっさ集まれ今津の衆よ」と、もうその歌詞には既にメロディーが託されていたのです。それに二十歳の若さで「衆」などという前時代的な言葉を、私にエクスカリバーの剣(アーサー王伝説)のように突きつけてきたのです。また、“手拍子”というと大概の詞は「シャン、シャン、シャン」ですが、彼は「みんな手拍子ドドンとね」表現しました。これは、私の意表を突くものでした。
 こんな「特徴ある詞の言葉が必然的にメロディーを誘発する」体験を初めてしたのですから……言い換えれば、あの作詞が無ければ、後の「おもいで酒」に繋がる私の感性は湧いてこなかったことでしょう。まさに、友人でありながら私に“邂逅”(人生を変えるような出逢い)の実感を“言葉”で与えてくれたのです。しかも、ご本人は今も私にそのような感性の発露を示したなどとは思っていません。このように、人は出逢いによって無意識に周囲に多大なる影響を与えるのです。

 

★★「今津音頭」の制作意図は……!★★

 そして、まだまだ子供であり、技量も定かで無い未熟な私の“編曲”を日本一の吹奏楽部今中吹奏楽部が出演する「二千人の吹奏楽」「アマチュアトップコンサート」に起用してくれた恩師・得津武史先生がいなければ、実際の音として聴くことが出来ないため、数段その技量習得は遅れたでしょう。作曲や編曲は、いくらその論理を勉強しても、頭脳で考え想像するのと実際の演奏を聴くのとでは雲泥の差です。今では全日本吹奏楽連盟の理事長として大活躍している、淀川工業高校(現在は淀川工科高等学校)の吹奏楽顧問・丸谷明夫先生も駆け出しの頃はしょっちゅう我が母校を訪れ、私の編曲を熱心に録音して研究し、自分の学校のページェントに使っていました。このように、実際の演奏で聴ける環境を与えてくれたことは本当に幸運でした。みんな互いに影響を受け合って、切磋琢磨していたのです。

 これまでも書きましたが、この今津音頭に関わった町の民謡の先生三味線の師匠も、私にあらゆる意味で多くのことを教えてくれました。そんな経緯があったからこそ、祇園宮川町の里千代さん、そして、そのご縁で藤舍推峰さん、プロとは男の引き際と身を以て伝えてくれた藤舍秀明さん等々、多くの方々との出逢いや支援に恵まれたのです。また、ここには書き切れない多くの裏方の皆さんも、心からの協力を惜しみなくしてくれました。まさしく、こんな人達の中で、私は育まれたのです。

 さて、次の予定は日本ワールドレコード製作の「今津音頭」発売記念コンサートです。この音頭制作の根本意図は、“今津地区町内会の活性化”にありました。もっと掘り下げて言うと、
 「西宮市の中でも、最もガラの悪いところという固定観念を払拭するために、今津の町民の結束を内外に知らしめ、西宮市の面々に“今津ここにあり”を示す」
事にありました。それまで、今津と言えば文教住宅都市を謳(うた)う西宮市の汚濁処理施設ばかりが誘致されており、本当に汚い街でした。そこで、今津の住民は、自暴自棄に失礼ながら天皇家になぞらえて“今津三種の神器”として「①ゴミ焼き場 ②屎尿(しによう)投入口 ③大阪ガス・ガスタンク」を揚げて、半ばヤケクソ気味でした。昭和35年くらいまでは、関西の市町村は住民の屎尿を船に積み込み、それを大阪湾に投棄していました。その船の名前は「津門川丸」……津門川というのは今津の町中を流れる川の名で、こんな処にも“掃きだめの町・今津”の印象が色濃くありました。
 これらを払拭するための大イベントの一つが「今津音頭」の発表会にあり、今津の町に関係ある人間ばかりでやることに決まったのです。

 

この続きは、来週のお楽しみ……('-^*)/

 

 

★編集よりお知らせ★

今週の喝!の中で紹介されている「今津音頭」は下記にて当時の音源を聞くことができます。

当時の様子を思い浮かべながら御覧ください。

 

◆歌入り◆

 

◆笛入りカラオケ◆